東丹国の日本遣使とは? わかりやすく解説

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東丹国の日本遣使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 17:36 UTC 版)

東丹国」の記事における「東丹国の日本遣使」の解説

日本紀略』は醍醐天皇延長7年929年12月に東丹の使節丹後国竹野郡大津浜(現在の京都府京丹後市)に来着したことを伝える。この派遣は、東丹が遼陽城に移った後の時期に当たることから、遷都後も日本海沿岸に東丹の支配及んでいたことがわかる。使者これまで二度渤海国使として来日したことのある裴璆(はいきゅうであった親交のあった藤原雅量存問使として派遣された。何故国名が変わったのかを問われた裴璆は渤海契丹征服されたことを知らせ、新王の非道ぶりを訴えた。これを聞きとがめた京都朝廷主君変えたばかりか、新主の悪口を言うとは不届きであるとして入京させず、追い返している。この史実によれば、東丹は渤海後継者として日本との通交維持する意向であったことがわかる。朝廷にその意志無かったが、雅量は裴璆に同情し、後に回想した漢詩を『扶桑集』に残している。

※この「東丹国の日本遣使」の解説は、「東丹国」の解説の一部です。
「東丹国の日本遣使」を含む「東丹国」の記事については、「東丹国」の概要を参照ください。

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