李奉昌とは? わかりやすく解説

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李奉昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/30 15:50 UTC 版)

李 奉昌日本語読み:り ほうしょう、朝鮮語読み:イ・ポンチャン、1900年光武4年)8月10日 - 1932年昭和7年)10月10日)は、朝鮮の独立運動家。日本に渡った後、大韓民国臨時政府がある上海に渡り韓人愛国団団員となった。1932年、金九の命を受けて昭和天皇暗殺を試みて桜田門事件を起こしたが、襲撃は失敗し大逆罪となって死刑に処された。


注釈

  1. ^ 漢字を「朝山」とした新聞もあった。
  2. ^ 以上は宿泊者名簿や乗船者名簿で用いられた偽名[1]
  3. ^ 創氏改名によるものではなく、それ以前に日本での就職のために自発的に用いた名前。
  4. ^ 同書は複数の爆弾テロを組織・実行したテロリストとしての金九が、中国語で弁明したものであり、当事者の一方的な主張を含むので注意が必要である。韓国で出版された後述の『기노시타 쇼죠, 천황에게 폭탄을 던지다』では、李奉昌の説明に関するいくつかの点を間違いを指摘している。
  5. ^ 1910年に入学。名称は小学校であるが、学制が異なるため、現在の日本で言えば、小中一貫校に相当する。
  6. ^ かなり怪しい年季奉公取引であるが、この姪は戦後まで生存していたという。
  7. ^ 『李奉昌評伝』の洪仁根は「しょうぞう」ではなく「せいじょう」と読ませるつもりだったという[6]
  8. ^ 2014年次の企業物価指数で計算すると価値は68,400円ほど。指名手配されるほどの金額ではなく、結局、この犯罪では逮捕・立件されていない。
  9. ^ この件でも逮捕はされていない。桜田門事件逮捕後の調書によって判明した。
  10. ^ 菅原は流ちょうな日本語の李を日本人と思い、自分は仕事で行くことができなくなったので観兵式を拝観するのに役立つとして李に与えた。名刺は4日に大場全奎本人が菅原と車掌竹久ふじに観兵式場への入場の便宜のために与えた物だった。
  11. ^ 18
  12. ^ 笑顔の最後の写真とされるものをもとにしたが、現在では韓国でもこの写真は明らかに合成であるとされるので、顔の部分のみだけを用いる「絵」が利用された。
  13. ^ 2002年に70周年記念式典[18]、2012年に80周年記念式典[19]が行われた。

出典

  1. ^ 森川 1976, p.248
  2. ^ 이봉창(李奉昌)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年8月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e 桜田門事件犯人に死刑宣告・他人の煽動により大逆の愚を敢てす”. 大阪朝日新聞. 神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ (1932年10月1日). 2015年10月24日閲覧。
  4. ^ a b 『屠倭實記』(金九著, 嚴恒燮編, 汎友社, 1989) pp.37-38
  5. ^ a b c 배경식, 2008, pp.25-32
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n 홍인근,『이봉창평전 : 항일애국투쟁의불꽃, 그리고투혼』,나남출판, 2002, ISBN 8930039170(WorldCat用)
  7. ^ 배경식, 2008, p.34
  8. ^ a b c d 배경식 저, 너머북스,기노시타 쇼죠, 천황에게 폭탄을 던지다 』, 2008, ISBN 9788996123934(WorldCat用)
  9. ^ 홍인근, 2002, p.53
  10. ^ a b 森川 1976, p.250
  11. ^ 犬養毅伝刊行会 1934, p.325
  12. ^ 和仁裁判長、李奉昌に死刑の判決『東京朝日新聞』昭和7年10月1日夕刊(『昭和ニュース事典第3巻 昭和6年-昭和7年』本編p212 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1991年)
  13. ^ 李奉昌の死刑執行『東京日日新聞』昭和7年10月11日夕刊(『昭和ニュース事典第3巻 昭和6年-昭和7年』本編p212 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1991年)
  14. ^ 犬養毅伝刊行会 編「国立国会図書館デジタルコレクション 大逆事件の突發と犬養内閣の總辭職及び留任」『犬養毅伝』犬養毅伝刊行会、1932年、325-330頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1173703/196 国立国会図書館デジタルコレクション 
  15. ^ 黒羽清隆 著、池ヶ谷真仁 編『日米開戦・破局への道 : 『木戸幸一日記』(1940年秋)を読む : 黒羽清隆日本史料購読』明石書店、2002年。ISBN 4750316415 
  16. ^ 韓国教育開発院 編『わかりやすい韓国の歴史 : 国定韓国小学校社会科教科書』明石書店、1998年。ISBN 4750310247 
  17. ^ 小沢・日 自由党首白凡墓参拝する あす訪韓 日本大物政治家としてははじめて
  18. ^ “李奉昌義士義挙70周年記念式典”. 東亜日報. (2002年1月9日). https://www.donga.com/jp/article/all/20020109/266690/1 2022年2月22日閲覧。 
  19. ^ “[발언대]쓸쓸히 지나간 이봉창 의사 순국 80주기” (朝鮮語). 朝鮮日報. (2012年10月15日). https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2012/10/15/2012101502881.html 2022年2月22日閲覧。 
  20. ^ “韓国、抗日独立文化遺産3件を文化財登録”. 中央日報. (2019年2月13日). https://s.japanese.joins.com/JArticle/250160?sectcode=400&servcode=400 2021年4月1日閲覧。 
  21. ^ “‘일왕에 폭탄 투척’ 이봉창 선서문, 문화재 된다”. KBS. (2019年2月12日). http://news.kbs.co.kr/mobile/news/view.do?ncd=4136492 2021年4月1日閲覧。 


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