本間千代子とは? わかりやすく解説

本間千代子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 09:07 UTC 版)

本間 千代子(ほんま ちよこ、1945年1月29日 - )は、日本歌手女優。本名同じ[1]長野県上伊那郡伊那町(現:伊那市)生まれ[2][3][4]、生後8ヵ月から[3]東京都杉並区高井戸育ち[3][4][5]。身長162cm、体重45kg、B83cm、W53cm、H84cm(1964年4月)[1]音楽プロデューサーひのきしんじ


注釈

  1. ^ 「チコと一緒に」という主演ドラマは当初「チョコと一緒に」で企画されたが、番組のスポンサーだったヤクルトが反対したという。当時本間が不二家のチョコレートのCMに出演していたため、不二家を利すると考えられたのだろう。また、「“チョコっと一緒に”と聞えてイヤ」という本間自身の要望もあったという[要出典]
  2. ^ 雑誌『明星』、『近代映画』の「映画スター人気投票・女優部門」では、1964年(昭和39年)度・1965年(昭和40年度)と2年連続で吉永小百合に次いで2位にランクインしていた。中間発表の段階では、吉永を押さえて1位になるケースもあった。(当時の『明星』、『近代映画』の記事による)
  3. ^ 1964年(昭和39年)の女性タレントのプロマイド売上枚数は、月間ベースでは吉永小百合を抜いて1位になることもあったが、年間ベースでは、やはり吉永が1位、本間は2位であった。翌1965年(昭和40年)、1966年(昭和41年)にもベストテンに名を連ねていたが、1967年(昭和42年)以降は上位ランキングから姿を消している。(マルベル堂資料、雑誌「近代映画」の記事による)
  4. ^ 「チコとボーイフレンド」牟田悌三鈴木やすし等と共演(1965年6月20日付朝日新聞芸能面)。
  5. ^ 結婚式は1967年1月22日常泉寺週刊平凡、1967年2月2日号、32–33頁)、披露宴は、同日帝国ホテル週刊明星、1967年1月1日、1月8日号、46-47頁)。
  6. ^ 本間自身の言葉によれば、今回収録分が彼女のリリースした作品の全てではないという。(FMラジオ2010年10月16日放送分「おはようサタデー~」にて語る[出典無効]
  7. ^ 当初は高石かつ枝で吹込予定であったが、彼女が1964年2月にクラウンへ移籍した為、急遽本間千代子によってレコーディングされ同年5月に発売されている。尚、1942年(昭和17年)菊池章子の「湖畔の乙女」とは全くの別物である。
  8. ^ 録音は1959年[要出典]
  9. ^ この曲は古賀政男邸でレコーディングされたが、僅か1時間で完了したという。(FMラジオ2010年5月8日放送「おはようサタデー~」での本間千代子談[出典無効]
  10. ^ 同冊子には、彼女の住所、最寄り駅からの経路、家の特徴などが、写真入で詳細に記載されている。(現在は居住していない)

出典

  1. ^ a b c d e 本間千代子「本間千代子さんの作ったページ」『月刊平凡』1964年4月号、平凡出版、75–83頁。 
  2. ^ a b c d e f g 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年、595頁。 
  3. ^ a b c d e f 「特集 芸能界の地図をかえる?! '63年のホープ・ベスト9 新鮮なレモンの味 映画 本間千代子さん」『月刊明星』1963年2月号、集英社、92頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i 「今月のスタースケッチ 本間千代子」『月刊明星』1963年3月号、集英社、94頁。 
  5. ^ 『日本映画人名事典・女優編』キネマ旬報社
  6. ^ a b c d e f g h 「スクリーン 本間千代子の"ハタチの意欲"」『週刊サンケイ』1965年7月26日号、産業経済新聞社、44頁。 
  7. ^ a b 女学生の友』 1966年8月号(小学館)188-193ページ
  8. ^ a b c d e f g 「今秋婚約を発表するという情報を巡って… 《特別取材》岐路に立つ20歳の女優 本間千代子の婚約者」『週刊平凡』1965年7月22日号、平凡出版、30-34頁。 
  9. ^ a b c d e f g h 安倍寧「ばらえてぃ "二刀流"で茶の間の人気者 歌手としても売れっ子になった本間千代子」『週刊朝日』1965年4月2日号、朝日新聞社、102–103頁。 
  10. ^ プロフィール|本間千代子|コロムビアオフィシャルサイト
  11. ^ 俳優・小倉一郎、小学校1年生でひとり上京。相次ぐ身内の不幸を乗り越え“芸能生活60周年”
  12. ^ a b c d e f g 「表紙モデルインタビュー本間千代子撮影・秋山庄太郎」『週刊現代』1966年6月16日号、講談社、32頁。 
  13. ^ 野球ソングス-大定番と貴重盤 - Amazon(コロムビアの2010年リリースCD)
  14. ^ a b c d e f g 「格言も不況に弱い もてあまされたスター本間千代子」『週刊サンケイ』1965年9月20日号、産業経済新聞社、101頁。 
  15. ^ a b c d e f g 岡田茂(東映京都撮影所長)・今田智憲(東映東京撮影所長)、聞く人・北浦馨「東映路線の今后の課題 『企画は流行性、スターは不良性感度 岡田・今田東西両所長がさぐる要素』」『映画時報』1965年11月号、映画時報社、30頁。 
  16. ^ a b c d e f g h i 「女優失業時代というけれど岐路に立つ女優たち」『近代映画』1966年4月号、近代映画社、209頁。 
  17. ^ a b c 「来るか!女性映画時代!」『月刊平凡』1966年2月号、平凡出版、171頁。 
  18. ^ 南部僑一郎(映画評論家)・今村三四夫(映画評論家)、岡部竜、司会・北浦馨「座談会活動屋野郎の土性っ骨柄のいいのは映画人・柄の悪いのが活動屋」『映画時報』1962年2月号、映画時報社、19頁。 
  19. ^ “対談 『スターと企画への注文常設館とファンの声から』”. 週刊映画プレス (全国映画館新聞社): p. 3. (1962年7月14日) 
  20. ^ a b “東映の新人事”. 週刊映画プレス (全国映画館新聞社): p. 5. (1962年1月27日) 
  21. ^ 「映画界重要日誌1962・9―63・8/業界概観東映、目標を最盛期に」『映画年鑑 1964』1964年1月1日発行、時事通信社、12、158–160頁。 
  22. ^ a b c d e 文化通信社 編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年、326-334頁。ISBN 978-4-636-88519-4 
  23. ^ 「東映、製作方針を一変して下半期攻勢 成功するか!完全リバイバル」『映画時報』1962年7月号、映画時報社、31頁。 
  24. ^ “手塚治新社長インタビュー「東映全社員が企画者」コロナ禍で映画業界大打撃も「映画とは何か、映画館に行くことの意味を再考するタイミングです」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2020年7月11日). オリジナルの2020年7月11日時点におけるアーカイブ。. https://archive.vn/ZN7oW 2020年9月25日閲覧。 岡田茂「ドキュメント東映全史 多角化は進んでも東映の看板はやはり映画」『クロニクル東映 1947―1991』 2巻、東映、1992年、8頁。 東映株式会社総務部社史編纂 編『東映の軌跡』東映株式会社、2016年、564-565頁。 北浦寛之『テレビ成長期の日本映画』名古屋大学出版会、2018年、134-153頁。ISBN 978-4-8158-0905-8 東映不良性感度路線の父 岡田茂逝去」『映画秘宝』2011年7月号、洋泉社、52頁。 大高宏雄の興行戦線異状なし Vol.29孤狼の血 : 映画評論・批評 - 映画.com楊紅雲「任侠映画路線における東映の成功 : テレビに対抗した映画製作 (1963-1972年) を中心に」『多元文化』第4号、名古屋大学国際言語文化研究科国際多元文化専攻、2004年3月、191-202頁、doi:10.18999/muls.4.191ISSN 13463462NAID 120000974864 
  25. ^ a b c d e f g 「大川指導路線の全貌 東映独立体制の整備成る 東映事業団の成長促進の歩み 東急傘下を離れ独立独歩の姿勢」『映画時報』1964年11月号、映画時報社、28-34頁。 
  26. ^ a b “(私の履歴書)佐久間良子(14) 出演取りやめ、歯車狂う東映の路線とのズレ広がる”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 40. (2012年2月15日) 東映カレンダー on Twitter: "2012年2月15日の日本経済新聞
  27. ^ a b c 「特報『映画には出ません』本間千代子が初の地方巡業へ」『週刊明星』1966年7月28日号、集英社、36–39。 
  28. ^ 「夫婦そろってカムバック 守屋浩は歌 本間千代子はテレビで」『週刊平凡』1969年4月3日号、平凡出版、57頁。 
  29. ^ a b 「銀幕にぞくぞく登場する人気歌手―十代ファンを狙って青春路線復活―」『近代映画』1965年1月号、近代映画社、217頁。 
  30. ^ 「グラビア 君たちがいて僕がいた=東映」『芸能画報』1964年5月号、サン出版社、30頁。 
  31. ^ a b c d e f 「げいのう・ステージ・げいのう『純愛映画を作ってみたが…佐久間良子連続二週登場の裏」『週刊現代』1964年11月19日号、講談社、32頁。 
  32. ^ “売春婦もの二作 エロ映画一考の期来る 衝撃場面も度重なれば”. 週刊映画プレス (全国映画館新聞社): p. 1. (1964年8月22日) 
  33. ^ “官能場面のある映画とエロ映画玉石混合のブーム時流にどう抗するか”. 週刊映画プレス (全国映画館新聞社): p. 1. (1964年2月29日) 「シネ街 各社もっぱらセックス路線」『週刊読売』1964年5月24日号、読売新聞社、34頁。 「平凡トピックセンター 映画SCREEN ―スタッフもフラフラー スクリーンはお色気がいっぱい!」『月刊平凡』1964年4月号、平凡出版、215-216頁。 伊藤義(東映常務取締役)・雨宮恒之(東宝取締役)・波多野三郎(パラマウント営業部長)、聞く人・北浦馨「五社依存への大いなる戦略論日本映画界の新路線『エロ・残酷ブーム』もっと文学的映画を」『映画時報』1964年6月号、映画時報社、12-13頁。 “第二映倫(仮称)誕生の動き自主機関に暗雲か?”. 週刊映画プレス (全国映画館新聞社): p. 1. (1964年7月4日) 川上流二(東宝配給部長)・野末駿一(映倫事務局)・加藤厳(興連事務局長)、聞く人・北浦馨「暴力とセックスから生れた都条例映倫よ強くなれ!=座談会=健康と良識を失った映画界パンパン映画を責める前に責任の所在を明らかにすべきだ」『映画時報』1964年8月号、映画時報社、12-13頁。 
  34. ^ a b c d 「げいのう・ステージ・げいのう『純愛路線』に乗るか…本間千代子」『週刊現代』1964年10月22日号、講談社、31頁。 
  35. ^ a b 大塚英志『二階の住人とその時代-転形期のサブカルチャー私史』星海社、2016年、80-83頁。ISBN 9784061385849 
  36. ^ 長部日出雄(映画評論家)・佐藤重臣(映画評論家)・品田雄吉(映画評論家)・虫明亜呂無(映画評論家)、聞く人・北浦馨「日本映画の危機突破作戦 『映画は滅びない、経営理念の変革こそ必要である―』」『映画時報』1965年12月号、映画時報社、12頁。 
  37. ^ 「いま何してる?本間千代子」『週刊読売』1966年2月11日号、読売新聞社、49頁“映画の青春ものが下火でしょ。私の出る幕がずっとないんです。でもテレビや歌、雑誌の仕事が多くて、遊びに出る暇がないくらい(中略)そのうち出番がくるでしょうからね” 「いま何してる?本間千代子」『週刊読売』1966年7月8日号、読売新聞社、50頁“昨年五月の『おゝい・雲!』から一年ぶりで『大忍術映画 ワタリ』に出演しています。いままで東映は、やくざやエロものが中心で、私の出る幕がなかったんですが、一年間よその空気を吸って、芸能界が、けっして甘くないことを知り、よい勉強になりました…” 
  38. ^ 「スクリーン不況克服に新人スター開発各社"救世主女優"を待望」『週刊朝日』1966年6月3日号、朝日新聞社、114頁。 
  39. ^ a b c 「ニュースコーナー製作 『東映、俳優行政など基本方針きまる 来年は創立十五周年の記念映画製作』」『映画時報』1965年12月号、映画時報社、23頁。 
  40. ^ “女やくざと全裸のベッド・シーン 東宝初出演フリー宣言どこへやら 三田佳子”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 6. (1969年11月3日) 
  41. ^ 「『どうなる大川橋蔵の新路線 舞台復帰か? テレビに進出か? 歴史的決断でD級転落?』」『週刊明星』1965年11月14日号、集英社、34-37頁。 
  42. ^ a b c 「この人と一週間 ヤクザ映画で育った義経の妻」『週刊文春』1965年12月13日号、文藝春秋、96頁。 
  43. ^ 「スタジオ速報 本間 千代子とともに汐干狩りを楽しむ会」『近代映画』1966年6月号、近代映画社、213頁。 
  44. ^ 「ポスト日本映画 女優を賭ける佐久間良子 本間千代子」『週刊明星』1966年6月5日号、集英社、94頁。 
  45. ^ a b c “"主婦と女優の両立"を 本間千代子がカムバック”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 15. (1969年5月25日) 
  46. ^ a b c d e f g 「芸能ジャーナル どうする本間・守屋の宗教問題」『週刊サンケイ』1966年8月22日号、産業経済新聞社、102頁。 
  47. ^ 「特報 花嫁が学会の式場にはいれないといううわさはほんとうか 本間千代子が創価学会に入信しないまま挙式!」『週刊平凡』1967年2月2日号、平凡出版、32–34頁。 
  48. ^ 「おしゃべりジャーナル ゲスト 守屋浩・千代子 ききて・芥川隆行 『旦那さまはいばってる』」『週刊平凡』1967年3月16日号、平凡出版、60–63頁。 
  49. ^ 第11回 日本作詩大賞
  50. ^ 歌謡コダマ”. ソノシート発売状況 / コダマプレス. なつかしのメディア / ソノシート. 2014年11月26日閲覧。
  51. ^ 千葉真一; 本間千代子・小林裕子・小川守・三田佳子. “歌う東映スター”. 別冊歌謡コダマ ; KY-1001. コダマプレス社. 2014年11月26日閲覧。


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