木村助九郎とは? わかりやすく解説

木村友重

(木村助九郎 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 01:27 UTC 版)

木村 友重(きむら ともしげ、天正13年(1585年) - 承応3年4月8日1654年5月24日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての紀州藩武士剣豪。運籌流、柳生流(柳生新陰流)。 は友重、号は矩泰。幼名通称木村助九郎で知られる。柳生宗矩の門弟筆頭とされ、後世では柳生四天王に数えられた。


注釈

  1. ^ 友重が柳生家に仕えた時期や経緯は不明なものの、友重が著したとされる『木村助九郎 兵法聞書』によれば18歳で剣術の稽古を始めたとあることから、入門の時期は柳生家が関ヶ原の戦いでの功績により、一時失領していた本領を取り戻した後の慶長7年(1602年)頃と見られる[1]

出典

  1. ^ 史料 柳生新陰流〈上巻〉収録『木村助九郎兵法聞書』。該当箇所はp.187
  2. ^ a b c d e f g 南紀徳川史 第6冊収録『木村家家譜』。該当箇所はp.187
  3. ^ 『徳川実紀』
  4. ^ 綿谷雪2011


「木村友重」の続きの解説一覧

木村助九郎(きむら すけくろう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 03:47 UTC 版)

十 〜忍法魔界転生〜」の記事における「木村助九郎(きむら すけくろう)」の解説

お縫祖父紀州藩600石で、柳生新陰流剣術指南役柳生石舟斎四高弟の一人堅苦しく十兵衛からは「じい」と呼ばれる転生衆との交戦決意するも、顔を表した如雲斎と宗矩に驚き撤退決意片手片足切り落とされたまま馬を飛ばし十兵衛転生衆のことを伝えて果てる

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木村助九郎(きむら すけくろう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 16:53 UTC 版)

バガボンド」の記事における「木村助九郎(きむら すけくろう)」の解説

無口で冷静。武蔵との戦いで右目と左耳を負傷した納戸役

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