木下利次とは? わかりやすく解説

木下利次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/06 04:07 UTC 版)

 
木下利次
時代 江戸時代前期
生誕 慶長12年(1607年
死没 元禄2年1月19日1689年2月2日
改名 羽柴利次→木下利次
別名 利三
戒名 碧雲院殿徹叟利三居士
墓所 東京都港区芝公園金地院
幕府 江戸幕府
氏族 豊臣姓羽柴氏木下氏
父母 父:木下利房、母:進藤正次女、養母:高台院
兄弟 利当利次
正室:向井忠勝養女(水野忠直[1]娘)
利値、利紀、広外(久喜の甘棠院の僧)、崇達(芝の金地院の僧)、娘(筒井政勝室)、娘(新見正道室)、娘(春日義陣室)、娘(谷頼衡室)
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木下 利次(きのした としつぐ)/ 羽柴 利次(はしば としつぐ)は、江戸時代前期の旗本豊臣宗家社稷を継ぐことを認められた。旗本寄合近江木下家の初代当主。

来歴

備中国足守藩主・木下利房の次男として生まれる。叔父に羽柴秀俊として豊臣家にいた小早川秀秋がいる。大坂の陣により豊臣秀頼を当主とする豊臣宗家が滅亡したのち、豊臣家(羽柴家)が断絶することを愁いた大叔母高台院の養子となって「羽柴利次」となり、高台院のもとで養育された[2]

高台院が死去した後、幕府により苗字を「木下」に改姓させられた[2]。木下家となった羽柴家は高台院の(化粧領・養老料)1万5000石の遺領を大幅に削られ、近江国野洲郡栗太郡の3000石と豊臣家の社稷を相続することのみが許され、一旗本となった[2]

貞享4年(1687年)に致仕して家督を長男の利値に譲り、元禄2年(1689年)に83歳で死去した。

子孫

利次の子孫は上級旗本寄合席(大身)として江戸幕府に仕えた。また江戸幕府12代将軍徳川家慶は利次の女系子孫である。


木下利次―木下利値―女子(天野重供室)―天野久斗―天野久豊―女子(押田敏勝室)―香琳院徳川家斉側室)―徳川家慶

脚注

  1. ^ 水野忠重の子。
  2. ^ a b c 池田洋子「名古屋市秀吉清正記念館蔵《高台院(おね)画像》に関する考察ノート」(PDF)『名古屋造形大学紀要』第18号、2012年、25頁。 




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