朝日生命保険
朝日生命保険
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:44 UTC 版)
帝国生命保険(現・朝日生命保険)は1887年に創業し、古河グループとのかかわり合いは1910年に帝国生命保険取締役・志賀直温(古河市兵衛と足尾銅山を共同経営した志賀直道の息子)の斡旋で古河鉱業会社(現・古河機械金属)が株式所有(10%)したのがきっかけであった。 その後、帝国生命保険を古河グループの唯一の生命保険会社にするために株式保有を増加させながら、1918年に古河合名(現・古河機械金属)社員の木村長七を監査役として送り込み、1920年には古河合名総理事の井上公二を取締役に就任させた。更に1924年には井上公二が帝国生命保険社長に就任し、その後、同社株式を市場から買い入れ1927年に同社株式の過半数を取得、帝国生命保険を傍系企業に加えた。同社の経営権を取得したことにより、1927年の金融恐慌に際し古河銀行(現・みずほ銀行)の古河合名への貸付金の一部肩代わりをするなど、古河グループの金融に大きな貢献を果たした。以降、古河側から役員の派遣を続け、第二次世界大戦後の財閥解体に至るまで同社の経営を担当した。 戦後の1947年、新しく朝日生命保険として相互会社形態で発足し(帝国生命保険は株式会社であった)、相互会社となったため古河グループからの資本関係はなくなったが、歴史的つながりから、同社は古河三水会の理事会社として、古河グループ各社と協力関係(古河グループ各社への資本参加を含む)を維持している。
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