つきにつかれたピエロ【月に憑かれたピエロ】
月に憑かれたピエロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/28 21:25 UTC 版)
『月に憑かれたピエロ』(つきにつかれたピエロ、フランス語: Pierrot lunaire)は、ベルギーの詩人アルベール・ジローが1884年に発表したフランス語の詩集、およびジローの原詩をもとにオットー・エーリヒ・ハルトレーベンが1892年に発表した自由なドイツ語訳の詩集、あるいはこれらの詩に基づく歌曲やメロドラマ(音楽を伴奏とする詩の朗読)などの音楽作品である[注 1]。
- ^ 堀口大學の詩集、およびこれに基づく清水脩の合唱曲に『月光とピエロ』があるが、これらの内容は本作品と直接のつながりを持たない。
- ^ 『月に憑かれたピエロ』を作曲した当時は、シェーンベルクはベルリンに住んでいた。
- ^ 「若きベルギー」の創始者には、他にモーリス・メーテルリンクなどがいる。
- ^ マルクスによる歌曲(コロンビーヌのみ)の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- ^ コヴァルスキによる歌曲『月に憑かれたピエロ』の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- ^ その他、IMSLPにはカール・プロハスカによる、ジローの原詩に基づく歌曲の楽譜が公開されている。プロハスカによる歌曲『月に憑かれたピエロ』の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- ^ シェーンベルクのメロドラマのテクストは、この新版が底本となったものと考えられる[4]。
- ^ 声楽家が担当する場合、ソプラノ歌手が担当することが一般的である。男性が語り手を務めることもあり、その最初のケースとなったのが1921年12月のフランクフルトで行われた公演である[6]。
- ^ シュプレヒシュティンメ自体はシェーンベルク以前から存在した方法である。なお、シェーンベルクは『グレの歌』の第3部「夏風の荒々しい狩り」のメロドラマにおいて、初めてシュプレヒシュティンメを使用した[7]。
- ^ シュプレッヒシュティンメの記譜方法には、符幹に「×」印をつける以外に、符頭の形を「×」にするものなどバリエーションがある。
- ^ ブーレーズは、シェーンベルクが「語られる声」と「歌われる声」の関係を、誤って分析したためではないかと推測している[8]。
- ^ ブーレーズは、この作品の価値を認めつつも、シェーンベルクの作品において「特別な地位」を占めるものではなく、この時期の作品であれば、『5つの管弦楽曲』作品16や、モノドラマ『期待』作品17でも、「ピエロ」と同様の「神話が結晶」し得たとしている[8]。
- ^ このため、アレグザンダー・ロイド・リンハート(Alexander Lloyd Linhardt、2003年)は『月に憑かれたピエロ』を「伝統的調性音楽への復帰作」と看做している。
- ^ このようなパラドックスは、もともとオペラにおける「ズボン役」に始まってモーツァルトのオペラ『魔笛』やワーグナーの楽劇などにも見られる。
- ^ ツェーメはライプツィヒの裕福な弁護士夫人でもあった[2]。
- ^ 「ピエロへの祈り」「ショパンのワルツ」「雲」「神聖な白」「帰郷」「妖精」「蒼ざめた洗濯女」「赤と白」「月に酔い」「夜」「十字架」「太陽の終焉」「赤いミサ」「おお、なつかしい香りよ」「病める月」「打ち首」「料理人」「パントマイム」「嘲弄」「絞首台の歌」「自殺」「ボヘミア・ガラス」の22篇(1911年3月4日付けのツェーメによる朗読の夕べのポスターによる)[11]。12篇がシェーンベルクの作品と共通している。
- ^ 作曲開始の日付については、フライタークによれば「3月2日[2]」、石田によれば「3月12日[13]」、ライヒによれば「5月12日[14]」と、文献によって異なった記述がある。
- ^ 「十字架」を除くほとんどの部分は同年6月6日までに仕上がっていた[2]。
- ^ ヘルマン・シェルヘンは、当初、シェーンベルクからヴァイオリン・ヴィオラ奏者として声をかけられたが、技術に十分自信がないことを理由に辞退し、かわりに全ての練習に立ち会うことにしていた[16]。
- ^ 初演までに要した練習の回数については、ライヒによれば44回[19]、フライタークによれば25回[17]である。
- ^ 批評家や専門家の反応は、一部を除き非常に拒絶的であった[19]。
- ^ 指揮はシェーンベルクとシェルヘンが分担して行った[18]。
- ^ 再演にあたり、女優のエリカ・シュティードリー=ヴァーグナー(Erika Stiedry-Wagner)が、アルバン・ベルクの推薦により語り手として起用された[25]。
- ^ この頃(1920年代初め)に『月に憑かれたピエロ』の演奏を聴いたプッチーニは「ここに遠い未来をめざすひとつのゴールがある[27]」と絶賛したといわれる。
- ^ ユダヤ人であったシェーンベルクは、ナチス・ドイツから逃れるため、1933年からアメリカに移住していた。
- ^ ストラヴィンスキーが『月に憑かれたピエロ』を聴いた場面については、「四回目のリハーサル[20]」という記述および「12月8日にコラリオン・ザールにおいて[31]」という記述が見られる。
- ^ スイスのクラランにおいて、バレエ・リュス を率いるセルゲイ・ディアギレフからの依頼により、モデスト・ムソルグスキーの歌劇『ホヴァーンシチナ』の補筆・編曲を行っていた。
- ^ この時、ストラヴィンスキーは、まだ初演前の『春の祭典』の自筆譜をラヴェルに見せている[33]。
- ^ モーリス・ドラージュの『4つのインドの詩』に変更された。
- ^ ドイツ語ではなくフランス語で上演した理由について、ミヨー自身は「このような音楽では、言葉の意味がわかる必要があると私達は思った[37]」ためとしており、スミスは「戦時中にドイツ人とドイツ語に反感があったため[26]」としている。
- ^ ミヨーとプーランクが、戦争で疎遠になったオーストリアの音楽家と接触することを目的として旅をした[38]。
- ^ この時、ピアノはシュトイアーマン、他の器楽はウィーンフィルのメンバーが務めた[26]。
- ^ 偶然にも、シェーンベルクは9月13日に生まれ、7月13日にこの世を去った。
- ^ シュプレヒシュティンメが「語り」に近く、音程が近似的になるとカノンにならない。また、音程を正確にとると「歌」になってしまう、というジレンマに陥る[8]。
- ^ 音楽学者のチャールズ・ローゼンは「月のしみ」を「15世紀の終り以来作り出されたものの中で最も精巧なカノンのひとつ[54]」と高く評価している。
- ^ A管のクラリネットが使われる。ただし、第18曲「月のしみ」のみB♭管の指定がある。
- ^ レーンによる1974年の録音はグラミー賞クラシック部門にノミネートされた。
- ^ ただし正規録音ではなく、1996年のヴェルビエ音楽祭でケント・ナガノの指揮のもとに行われた演奏の海賊版である。
- ^ 2004年に行われたビョークへのインタビューによると、「ケント・ナガノはライヴ録音をしたがったのだけれども、生涯かけてこの曲を歌う人たちの聖域を自分が侵してしまいそうだと実感した[1]」のだという。
- ^ 武智鉄二が主宰する断絃会の主催による「円形劇場形式による創作劇の夕」の演目の一つとして上演された[58]。
- ^ 日本語訳には「実験工房」のメンバーであった武満徹も協力した[58]。
- ^ 歌詞は、フィンランドのソプラノ歌手アンニカ・フルマン (Annika Fuhrmann)がドイツ語でつけた夢日記が元になっている。
- ^ この舞台は2013年にトーキョーワンダーサイトが主催した「トーキョー・エクスペリメンタル・フェスティバルVol.8」で再演された。
- ^ 笛:松田弘之、太鼓:飯嶋六之佐、地謡:佐野登、渡邊茂人、藪克徳
- ^ a b c 石田一志『シェーンベルクの旅路』春秋社、2012年8月、ISBN 978-4-393-93566-8、187頁
- ^ a b c d e エーベルハルト・フライターク著、宮川尚理訳『大作曲家 シェーンベルク』音楽之友社、1998年12月、ISBN 4-276-22164-1、120頁
- ^ a b c ヴィリー・ライヒ著、松原茂・佐藤牧夫訳『シェーンベルク評伝-保守的革命家』音楽之友社、1974年、133頁
- ^ a b c d フライターク、前掲書121頁
- ^ a b ライヒ著、前掲書132頁
- ^ ライヒ、前掲書216頁
- ^ 石田、前掲書54頁
- ^ a b c d e f ピエール・ブーレーズ、船山隆・笠羽映子訳『ブーレーズ音楽論-徒弟の覚書』晶文社、1982年2月、239~264頁
- ^ 石田、前掲書214頁
- ^ 入野義郎『十二音の音楽-シェーンベルクとその技法』早川書房、1953年、27頁
- ^ a b c d 石田、前掲書188頁
- ^ 石田、前掲書185頁
- ^ 石田、前掲書、年譜20頁
- ^ ライヒ、前掲書135頁
- ^ 石田、前掲書189頁
- ^ a b c ライヒ、前掲書136頁
- ^ a b c d e フライターク、前掲書129頁
- ^ a b c ライヒ、前掲書139頁
- ^ a b c ライヒ、前掲書137頁
- ^ a b c フライターク、前掲書126頁
- ^ Quoted in Winiarz.
- ^ Quoted in Hazlewood.
- ^ ジョーン・アレン・スミス著、山本直広訳『新ウィーン楽派の人々-同時代者が語るシェーンベルク、ヴェーベルン、ベルク』、音楽之友社、1995年、ISBN 4-276-13230-4、103頁
- ^ スミス、前掲書124頁
- ^ スミス、前掲書140頁
- ^ a b c d スミス、前掲書125頁
- ^ 矢野暢『20世紀の音楽-意味空間の政治学』音楽之友社、1985年、36頁
- ^ ライヒ、前掲書139頁
- ^ ライヒ、前掲書282頁
- ^ 石田、前掲書202頁
- ^ リチャード・バックル 鈴木晶訳『ディアギレフ-ロシアバレエ団とその時代』、リブロポート、1983年5月、ISBN 4-8457-0089-1、上巻276頁
- ^ a b イーゴリ・ストラヴィンスキー著、笠羽映子訳『私の人生の年代記-ストラヴィンスキー自伝』未來社、2013年、ISBN 978-4-624-93436-1、54頁
- ^ a b c アービー・オレンシュタイン著、井上さつき訳『ラヴェル-生涯と作品』音楽之友社、2006年、ISBN 4-276-13155-3、85頁
- ^ オレンシュタイン、前掲書 87頁
- ^ Otto Erich Hartleben、Mark Delaere、Jan Herman: Pierrot lunaire. Albert Giraud、 Otto Erich Hartleben、 Arnold Schoenberg[2]、 175p.
- ^ スミス、前掲書363頁
- ^ a b ダリウス・ミヨー 別宮貞雄訳『幸福だった私の一生』音楽之友社、1993年3月、ISBN 4-276-22672-4、121頁
- ^ a b ミヨー、前掲書130頁
- ^ 『日本戦後音楽史 上-戦後から前衛の時代へ』平凡社、2007年、ISBN 978-4-582-21968-5、200頁、253頁
- ^ 石田、前掲書190頁
- ^ a b c d e f g h 石田、前掲書192頁
- ^ a b 諸井誠『音楽の現代史』岩波書店、1986年、94頁
- ^ 石田、前掲書190頁、192頁
- ^ a b c 石田、前掲書194頁
- ^ 石田、前掲書197頁
- ^ a b c 諸井、前掲書95頁
- ^ a b c d e 石田、前掲書198頁
- ^ ライヒ、前掲書383頁
- ^ a b 諸井、前掲書96頁
- ^ 石田、前掲書199頁
- ^ a b 『最新名曲解説全集第24巻-声楽曲IV』音楽之友社、1981年、48頁
- ^ a b c d 石田、前掲書200頁
- ^ 『最新名曲解説全集第24巻-声楽曲IV』音楽之友社、1981年、50頁
- ^ チャールズ・ローゼン 武田明倫訳『シェーンベルク』岩波書店、1984年、77頁
- ^ 石田、前掲書206頁
- ^ ライヒ、前掲書134頁
- ^ a b フライターク、前掲書130頁
- ^ a b c d e f 西澤晴美「実験工房の舞台作品について-「バレエ実験劇場」と『月に憑かれたピエロ』を中心に」、藝叢編集委員会 編『藝叢 : 筑波大学芸術学研究誌 』、2009年3月、NAID 120006343894
- ^ 森彰英『武智鉄二という藝術-あまりにコンテンポラリーな』水曜社、2011年1月、ISBN 978-4-88065-247-4、214~219頁
- ^ “日本・フィンランド新音楽協会会報Vol.4(11頁)”. 日本・フィンランド新音楽協会. 2018年9月30日閲覧。
- ^ “ミーカ・ヒューティアイネンの公演記録”. ミーカ・ヒューティアイネン. 2018年9月30日閲覧。
- ^ “ヴァリヨ・アンサンブル「月に憑かれたピエロとその影」”. Tokyo Arts and Space. 2018年9月30日閲覧。。
- ^ “夢幻能『月に憑かれたピエロ』(公式ブログ)”. 2018年9月30日閲覧。。
固有名詞の分類
- 月に憑かれたピエロのページへのリンク