映画館の町
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画像提供依頼:1971年から2011年まであったオリオン座(2代)の画像提供をお願いします。(2018年8月) 1897年(明治30年)6月15日には七間町の若竹座でトーマス・エジソンの「ヴァイタスコープ」(1896年発表)が上映された。静岡県で初めて上映された活動写真(映画)であり、これを記念して6月15日は「静岡映画の日」となった。その後は寄席や活動写真を興行する劇場が相次いで開館し、1913年(大正2年)には七間町に静岡初の常設映画館であるパテー館が開館した。 1919年(大正8年)には静岡活動写真株式会社(後の静活)が創立され、七間町通りと両替町通りの角地に洋画専門のキネマ館を開館させた。キネマ館の開館以後には多数の映画館が七間町通りに並び、七間町通りは「七ぶらシネマ通り」と呼ばれるようになった。 1940年(昭和15年)1月15日の静岡大火後、1940年から1941年にかけては新興劇場や静映劇場が開館した。太平洋戦争時の1945年6月に行われた静岡大空襲では多くの映画館が焼失したが、戦前にあった若竹座が国際劇場となり、1951年末には静岡県最大級の映画館である静岡オリオン座が開館した。このころには約10軒の映画館が七間町に並んでいた。 1983年(昭和58年)には日映が6階建ての静岡東宝会館を開館させた。2000年代には同一施設に多数のスクリーンを持つシネマコンプレックス(シネコン)が日本各地に広がりを見せ、七間町で4館9スクリーンを運営する静活は七間町の映画館を集約してシネコンを建設する計画を立てた。これにともなって、2011年(平成23年)10月2日には静岡オリオン座など静活が運営する4館9スクリーンが一斉に閉館。1か月後の11月5日には静鉄静岡清水線新静岡駅前の新静岡セノバに10スクリーンを有するシネシティザートがオープンした。この一斉閉館によって、七間町の映画館は静岡東宝会館のみとなった。 電気館(大正時代) 歌舞伎座(昭和初期) 中央劇場(-1957) 銀座劇場(-1961) 初代オリオン座(1951-1971) 静岡東宝会館(1983-) 静岡ミラノ1・2・3(1987-2011)
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