映画館の町とは? わかりやすく解説

映画館の町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 22:57 UTC 版)

七間町 (静岡市)」の記事における「映画館の町」の解説

画像提供依頼1971年から2011年まであったオリオン座2代)の画像提供をお願いします。(2018年8月1897年明治30年6月15日には七間町若竹座トーマス・エジソンの「ヴァイタスコープ」(1896年発表)が上映された。静岡県初め上映され活動写真映画)であり、これを記念して6月15日は「静岡映画の日となったその後寄席活動写真興行する劇場相次いで開館し1913年大正2年)には七間町静岡初の常設映画館であるパテー館が開館した1919年大正8年)には静岡活動写真株式会社(後の静活)が創立され七間町通り両替町通り角地洋画専門キネマ館を開館させた。キネマ館の開館以後には多数映画館七間町通り並び七間町通りは「七ぶらシネマ通り」と呼ばれるようになった1940年昭和15年1月15日静岡大火後、1940年から1941年にかけては新興劇場や静映劇場が開館した太平洋戦争時1945年6月行われた静岡大空襲では多く映画館焼失したが、戦前にあった若竹座国際劇場となり、1951年末には静岡県最大級映画館である静岡オリオン座開館したこのころには約10軒の映画館七間町並んでいた。 1983年昭和58年)には日映6階建ての静岡東宝会館開館させた。2000年代には同一施設多数スクリーンを持つシネマコンプレックスシネコン)が日本各地広がり見せ七間町で4館9スクリーン運営する静活七間町映画館集約してシネコン建設する計画立てた。これにともなって2011年平成23年10月2日には静岡オリオン座など静活運営する4館9スクリーン一斉に閉館1か月後の11月5日には静鉄静岡清水線新静岡駅前の新静岡セノバ10スクリーン有するシネシティザートオープンした。この一斉閉館によって、七間町映画館静岡東宝会館のみとなった電気館大正時代歌舞伎座昭和初期中央劇場(-1957) 銀座劇場(-1961) 初代オリオン座(1951-1971) 静岡東宝会館(1983-) 静岡ミラノ1・2・3(1987-2011)

※この「映画館の町」の解説は、「七間町 (静岡市)」の解説の一部です。
「映画館の町」を含む「七間町 (静岡市)」の記事については、「七間町 (静岡市)」の概要を参照ください。

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