明治、大正の少年時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:57 UTC 版)
この節の出典: 岐阜県に生まれ、村井昌澄と、とみゑの次男。眼科医のであった父の転勤によって、幼少期を和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)で過ごす。新宮第一尋常小学校3年生の頃にスケッチをしている西村伊作(後に入学する文化学院の創設者)に出逢う。西村の作品を後ろから覗き見た経験が美術に対して興味を持つきっかけの一つになる。大正11年(1922年)旧制新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)卒業後上京。大正13年(1924年)川端画学校に通いはじめる。ここで盟友となる山口薫、矢橋六郎と出逢う 。同年、語学学校アテネフランセにも通う。 大正14年(1925年)文化学院大学部美術科に一期生として入学。教師陣の石井柏亭、正宗得三郎、山下新太郎、有島生馬らの教えを受ける。後に妻となる小川孝子と出逢う。
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