旧荏原区の町名とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 旧荏原区の町名の意味・解説 

旧荏原区の町名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/11 11:49 UTC 版)

品川区の町名」の記事における「旧荏原区の町名」の解説

荏原区区域は、明治22年1889年)の市制町村制施行時点では、荏原郡平塚村属していた。平塚村荏原郡中延戸越小山村、上窪村、下窪村の5谷山村(ややまむら飛地合併して明治22年1889年)に成立したもので、合併前の旧村名谷山村除く)は合併後平塚村大字となっている。名に選ばれた「平塚」は中延戸越小山村共通して存在した字名である。平塚村大正15年1926年)に町制施行し平塚町となり、翌昭和2年1927年)、荏原町改称した改称理由は、神奈川県平塚など他地域にある同名の地名との混同避けるためであった昭和7年1932年)、それまで荏原町区域東京市荏原区となった同年東京市編入され20区のうち、単独自治体1つの区となったのは他に滝野川区(旧滝野川町)のみである。なお、前述谷山村飛地は旧小山村にあったもので、現行の小山四丁目付近である。 昭和7年荏原区成立時中延戸越小山3つの大字名は新区の町名として存続したが、大字窪と大字窪はそれぞれ上神明町、下神明町と改称された。これは「窪」の地名イメージが悪いと考えられたためである。昭和16年1941年)には区全域にわたる町名改正実施され、区成立当初の5町が58町(11町名)に再編された。このとき、上神町・下神明町(旧上窪・下窪)は再度改称され豊町二葉町となった

※この「旧荏原区の町名」の解説は、「品川区の町名」の解説の一部です。
「旧荏原区の町名」を含む「品川区の町名」の記事については、「品川区の町名」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「旧荏原区の町名」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「旧荏原区の町名」の関連用語

旧荏原区の町名のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



旧荏原区の町名のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの品川区の町名 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS