日系アメリカ人市民同盟
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日系アメリカ人市民同盟[注釈 1][注釈 2](にっけいアメリカじんしみんどうめい、英語: Japanese American Citizens League、略称: JACL) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコに本部を置く、アジア系アメリカ人の権利擁護と、同性結婚への支持を目的とした公民権団体[10][11]。アメリカ国内では、最古かつ最大のアジア系人権団体である[10]。
注釈
- ^ 「連盟(れんめい)」[1][2][3]や「協会(きょうかい)」[4][5][6][7]と訳す事例も見受けられる。
- ^ 『全米日系市民協会(ぜんべいにっけいしみんきょうかい)』[8][9]と呼称される事例も見受けられる。
- ^ 1920年に、初となる日系人によるボーイスカウト隊を創設した。1924年には、日系人として初めてワシントン大学ロー・スクールを卒業し、弁護士となった[12]。1934年8月7日には、ワシントン州下院議員選挙に、キング郡第37区から共和党候補として出馬した。しかし、同年9月11日に実施された予選投票において、選挙区内の共和党候補者5名中、最下位で落選している[8]。因みに父・達弥は、日本では自由民権運動に携わっており、ジョージ山岡の父・音高とも、親しい間柄だった[13]。
- ^ 日系人のボクシング選出としては、初めてマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立つも、当時の規定を越えた試合数を重ねた事が原因で、網膜を損傷。1927年に全盲となり、時期を同じくして妻にも先立たれる。しかし、1世の後妻・ミサオの助けもあり、1928年にアメリカでは初となる、日系人向けの完全英字新聞である“Japanese American Courier”の創刊する[14]。1937年に第5代JACL会長となった[15]。
- ^ フレズノ在住の歯科医師であり、1935年に第4代JACL会長となった[15]。
- ^ 1872年に日本で生まれる。渡米後の1898年7月9日に海軍に入隊。米西戦争と第一次世界大戦に従軍しただけでなく、マッキンリー・ルーズベルト・タフトといった、3人の歴代大統領の下で、個人給仕係を務めた。1921年に退役した[21]。
- ^ 1895年に日本で生まれる。10歳で渡米した後、父親がカナダへ渡った事を期に、ノースダコタ州マイノットに居住するスローカム家と養子縁組する。ミネソタ大学ツインシティー校を経てコロンビア・ロー・スクールへ進学するものの、第一次世界大戦へ出征する為に中退。陸軍の第82空挺師団第328歩兵連隊の一員として、ムーズ・アルゴンヌ攻勢やサン・ミッシェルの戦いに従軍。上級曹長の階級で退役した[22]。
- ^ 日本で教育を受けた帰米2世は、戦前の日系コミュニティの中では、決して少数派ではなかった。その証左として、1942年に強制収容された20歳以上の2世のうち、4分の1以上が日本で3年以上の教育を受けた経験があった、と報告されている。帰米が「逸脱した存在」として扱われたのは、少数派だったからではなく、彼等の経験が、当時の日系コミュニティとアメリカ社会の「関係の作り方」を定義していた人種エスニック編成の不文律に、十分適合していなかった事に起因したものと思われる[25]。
- ^ 1952年に第10代JACL会長となった[15]。
- ^ 「悪の枢軸・日本の打倒に協力を」とも訳せる。
- ^ 例えば、強制収容に異議を唱え、外出禁止令を故意に犯して逮捕された安井稔弁護士を、マサオカ書記長は「愚かな行為」と厳しく批判した[38]。
- ^ 同州においても、1980年に初めて支部が設立された[42]。
- ^ 1902年にデンマークのコペンハーゲンで生まれ、20歳でアメリカへ移住する。1929年6月に陸軍士官学校を卒業。その後は、1936年から4年間日本に滞在した際に、日本語を習得する。これにより、大尉時代の1941年7月から10月にかけて、自身と同じく駐日経験のあるジョセフ・K・ディッキー大尉とジョン・E・ウェッカリング中佐と共に、陸軍日本語学校の創設にあたって、西海岸で服務している約1,300人の2世兵士全員に面接を実施し、学生と教官を選抜する役割を担う事となった[44]。
- ^ 余談ではあるが、TBS系で2010年11月に放送されたドラマ『99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜』の第3夜「強制収容所」では、タヤマへの暴行事件を元にしたシーンが、描かれている。
- ^ 1944年のコレマツ対アメリカ合衆国事件では、原告側弁護人を務めた。
- ^ 第二次世界大戦中のアメリカにおいて、一貫して日系人の強制収容に反対していた数少ない政治家だった、ラルフ・ローレンス・カーが州知事を務めていた事もあり、多くの日系人が保護を求めて、同州へ流入したという背景がある[54]。
- ^ カリフォルニア州では、1952年4月に州最高裁判所が、外国人土地法は合衆国憲法修正第14条に反する、不当な人種差別に当たると判示。1956年に、住民投票を通して撤廃される事となった。国内において、最後まで施行されていたワシントン州におけるものも、1966年に撤廃された[55]。
- ^ 1965年に『移民及び国籍法』が成立した事に伴い、国別割当制度は撤廃される事となった[60]。
- ^ カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校在学中の1950年に、当時としてはJACLの創設以来、最年少で支部長に就任する。後に、サンフランシスコ州立大学(SFSU)講師として、国内初となるエスニック研究プログラムの創設に携わる。1976年12月24日に、47歳の若さで急逝するも、SFSUは生前の功績を称え、彼の名を冠した賞と研究所をもうけている[68][69]。
出典
- ^ このサイトについて | 日系アメリカ人の歴史ポータル - Densho
- ^ 宇山総領事のJACL北加西ネバダ太平洋地区主催ガラへの参加 - 在サンフランシスコ日本国総領事館
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- ^ NHK BSプレミアム2011年7月19日放送『渡辺謙 アメリカを行く』より
- ^ “About the Bridging Communities Program”
- ^ 北米地域との交流 カケハシ・プロジェクト | 外務省
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