日産オースチン・A50
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/03 07:26 UTC 版)
「オースチン・A50ケンブリッジ」の記事における「日産オースチン・A50」の解説
詳細は「日産・オースチンA50ケンブリッジ」を参照 日産自動車は乗用車の設計・製造技術を学ぶべく、1952年にBMCと契約を結び、1953年3月からA40サマーセットのノックダウン生産を開始していた。だがそのノックダウン生産とパーツ国産化が進展する途上で、イギリス本国においてオースチンの中型セダンはサマーセットからケンブリッジにモデルチェンジされた。これを受けた日産は、オースチン国産化計画が一から出直しになる不利を押しても、当時の日本の小型車規格一杯の排気量である1,500cc級車のケンブリッジを生産する方が得策と判断し、ケンブリッジへの生産切り替えを断行した。
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