日産でのライセンス生産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 04:36 UTC 版)
「オースチン・モーター・カンパニー」の記事における「日産でのライセンス生産」の解説
また、1952年、日産自動車とオースチン車2000台をノックダウン生産し、オースチン・ブランドで販売する契約を結ぶ。この契約には3年以内に部品すべてをローカライズ(日本国の視点では「国産化」)する条項も盛り込まれていた。A40にはデボン(Devon)、サマーセット(Somerset)、ケンブリッジ(Cambridge)の3世代があり、日産自動車はノックダウンでサマーセットを組立・販売した。 英国でのA40は、1954年にサマーセットからモノコックボディとなったケンブリッジへ置き換えられていた。ケンブリッジはA40、A50、A55、A60の各モデルが作られたが、日産自動車は1.5リットルエンジンのA50を選択、ノックダウン生産を継続し、販売した。部品は順次日本製に置き換えられ、1956年からは全ての部品が日本製となり、A50は以後「完全国産化」されて販売されたが、当時の日本車としては超高級車だった。のちにセドリックがその後継となる。
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