日本興業銀行の設立運動とは? わかりやすく解説

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日本興業銀行の設立運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:24 UTC 版)

杉山茂丸」の記事における「日本興業銀行の設立運動」の解説

明治27年1894年)、杉山同郷先輩である金子堅太郎知遇得て経済政策語り合うようになった。またこの前後、東京日日新聞主筆朝比奈知泉知り合い暢気倶楽部」と呼ばれる会合を持つようになって伊藤博文桂太郎児玉源太郎後藤新平人脈広げた杉山金子協力して工業資本供給を行う興業銀行設立運動始め朝比奈金子杉山動静東京日日新聞報道して世論形成一役買った杉山明治30年1897年)に初め渡米しアメリカ工業事情視察すると、翌明治31年1898年)にも渡米して世界金融王J・P・モルガン単独面会し、かつ巨額借款約定することに成功した杉山らの興業銀行設立運動は、伊藤博文総理井上馨蔵相理解得たものの、地租増徴問題をめぐる内閣議会との混乱の中で握りつぶされる結果となり、隈板内閣経て第2次山縣内閣によって、明治33年1900年)に「日本興業銀行法」が成立する。しかし、貴族院国内銀行家反対により外資導入不可とされ、杉山モルガンとの間に結んだ資本導入実現しなかった。

※この「日本興業銀行の設立運動」の解説は、「杉山茂丸」の解説の一部です。
「日本興業銀行の設立運動」を含む「杉山茂丸」の記事については、「杉山茂丸」の概要を参照ください。

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