日本史学史における文化史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 14:15 UTC 版)
日本史研究は東京帝国大学にお雇い外国人のリースがやってきたことから始まる。リースは近代歴史学の父と言われるランケの弟子であり、その歴史学は実証主義を重んじるものであった。それ以後東京大学の学風は実証史学と称された。一方、日本で二つ目の史学科が開設された京都帝国大学では設立時は東京帝国大学卒の内田銀蔵や法制史にあつい三浦周行が教授を務めていたが、東京帝国大学に対抗する形で異なる学風を作り出す土壌があった。彼らの元で京都帝国大学に文化史学の学風を生み出すのは西田直二郎と中村直勝である。前者は精神史的文化史、後者は社会史的文化史の学風を以って京都帝国大学で文化史の歴史学分野の確立に大きく寄与した。しかし、両名が戦後公職追放に会い、西田の直系の石田一良が同志社大学に、中村の直系の林屋辰三郎が立命館大学の教授に着任した一方、京都大学の専任教授には小葉田淳と赤松俊秀といった文化史学の学風を持たない人選が行われた結果、戦後の京都大学の国史研究室に文化史の学風は残らなかった。また、戦後の京都大学国史研究室は、特に中世史においてマルクス主義歴史学の牙城となり文化史学の学風は忘れ去られ、立命館や同志社が京都の文化史研究の中心地となった。
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