日本プロ野球史上初のボールカウント間違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 01:44 UTC 版)
「二出川延明」の記事における「日本プロ野球史上初のボールカウント間違い」の解説
1リーグ時代下の1936年10月24日の大阪タイガース対大東京軍戦(宝塚球場)において、5回二死満塁の場面で、大東京の打者は漆原進、大阪の投手藤村富美男で、2ストライク2ボールとした後の藤村の投球を二出川はボールと判定、これを漆原がカウントを間違えて四球として一塁に歩き出し、審判や両軍の選手なども気づかないまま、走者もそれぞれ歩き出し、三塁ランナ-水谷則一も本塁に生還する、がここでボールカウントの間違いに気付き、漆原を打席に戻したものの、インプレー中だった為、走者を戻す事が出来ず3走者の進塁が認められる事となり、水谷の得点が認められ、漆原の打席はやり直しとなり三振に倒れている。 問題となったのは、3人の走者の進塁をどう記録するかで、公式記録員はやむなく「三重盗による3盗塁」とし、二出川は日本プロ野球史上初のボールカウントを間違えた審判となり、またこの時の三重盗が日本プロ野球初の三重盗となっており、この試合では、大阪が13盗塁で1試合での盗塁のチーム日本プロ野球記録、大東京の5盗塁と合わせての18盗塁は1試合の盗塁の合計の日本プロ野球記録となった。スコアは7対4で大阪が勝利している。
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