日本プロレタリア文学の先駆者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 14:04 UTC 版)
「種蒔く人」の記事における「日本プロレタリア文学の先駆者として」の解説
『種蒔く人』は、その手本とした『ドマン』と異なり小説を掲載したことで、文芸雑誌としての性格を強く持つことになった。この中から金子洋文『眼』(第3号)や今野賢三『火事の夜まで』(第17号)といった作品が生まれている。『種蒔く人』の参加同人からは金子の『地獄』や山川亮『泥棒亀とその仲間』、中西伊之助『農夫喜兵衛の死』といった作品が発表されており、彼らが日本プロレタリア文学運動の初期の局面を担ったのは確かであるが、これらの作品は他誌に掲載されたものであり、同人誌である『種蒔く人』ではなく原稿料の出る商業誌に良質な作品を送らざるを得ないという現実もあった。また当時は文学それ自体がブルジョア階級のものという固定観念が根強く、国際性や文芸性の強い『種蒔く人』の性格は必ずしも当時の労働運動家にとって受容しうるものではなかったのである。プロレタリア文学の進展は、青野が提唱した「目的意識論」のように、プロレタリア自らに階級闘争を自覚させる文学であることが重視されるようになり、それはクラルテ運動に基づく包摂的な共同歩調を重視する『種蒔く人』とは相容れないものになっていったのである。
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