日本のゴシック文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 01:58 UTC 版)
「ゴシック・ファッション」の記事における「日本のゴシック文化」の解説
前述の通り、欧米のゴシック・ファッションはゴシック・ロックなどの音楽に影響を受けたものが主流であり、不健全さや反道徳性が強調され、パンク・ファッションのような反体制的な過激さを持ち、ラバー素材やモヒカン、鼻ピアス、タトゥーなどのハードコアな印象を第三者に与えるものが、ゴシックであるとされている。また、特にフェティッシュな要素のないゴシック・ファッションでも、一般的なカジュアルな服と同じくらいには、肌を露出するのが普通である。 一方で、日本のゴシック・ファッションは海外に比べ、露出しない服装こそが、よりゴシックらしいと思われている。また、ゴスロリに影響されたような、レースやフリル、バッスルスカートやコルセットといった、ドレッシーなものが主流であり、欧米でみられるようなハードな印象を与えるゴシック・ファッションはあまり見られず、むしろロマンティックでさえあるものがほとんどである。 日本のゴシック・ムーブメントは、古くは1980年代にさかのぼる。和製ゴシック・ロックと言えるAUTO-MODや、マダムエドワルダ、G-SCHMITT、ASYLUMといったポジティブパンク・バンドの登場により、日本でも一時的ではあるがサブカルチャーとしてゴシックムーブメントがあった。フールズメイト初代編集長だったYBO2の北村昌士が運営し、SODOMやASYLUMが所属したトランスレコードのバンドのギグには、「トランスギャル」と呼ばれた黒服をまとう女性ファンが集まった(1990年代には後身レーベルのSSE COMMUNICATIONSが黒百合姉妹を輩出している)。このムーブメントは、後のヴィジュアル系バンドの登場にも大きく関わることになる。ヴィジュアル系のYOSHIKIや清春、HYDE、LUNA SEA、BUCK-TICKのメンバーも、バウハウスなどに代表されるバンドのゴシック・ムーブメントの影響を受け、自身の服装に取り入れるなどしていた。
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