新選組の護衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:28 UTC 版)
京都の故老が残した回想録がある。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}京都守護職であられた会津中将さんはとても美男子で、男が見ても惚れ惚れするような人でした。京都の人は容保さんのことを会津中将さんと呼んでおりました。何でも黒谷さん(会津本陣であった金戒光明寺)から御所さんにおいでの時を、私は一度烏丸通りで見たことがありましたが、真っ白い馬にお乗りになって、真っ赤な陣羽織みたいなものを着、烏帽子を冠り、槍を担いだ新選組を従えて、馬のお口は近藤勇が取り、右手には例の虎徹とか云う刀を、抜き身で持っておりました。会津中将さんのお通りだと云うと、若い女の子はわれ先にと、表に飛び出して行ったものですよ。
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