新生 五丈国の尚書省
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「銀河戦国群雄伝ライ」の記事における「新生 五丈国の尚書省」の解説
三楽斎馬防(さんらくさいばぼう) (五丈国南京楼駐屯軍司令→南京楼軍留守居役→五丈国尚書令) 南京楼の武将。竜我が南京楼太守に就任するまでは主人運が無く、各任地を転々としていた事から孟閣ら竜我の宿将達にはよく思われていなかった。ただ、彼自身は極めて有能な官僚であり、外交,内政面において竜我を補佐する。竜我が五丈を併呑した際に、新たな行政機構を作り、新機構の初代尚書令の任を受ける。 以後は竜我と師真、孟閣が遠征に出ている間、竜王代理として政権を預かる。南征では孟閣も都に居残るが、守備軍を動かす際に、三楽斎に伺いを立てていた。職制上では孟閣、林則嘉と同格だが、実質、師真に次ぐ五丈家臣団第二位として扱われている。モチーフは蕭何。 鄭衆(ていしゅう) (武王都太守→五丈国録尚書事代理) 武王都の太守。西羌軍侵攻の際に晏石から諭され、酒と女を送り届けて日数を稼ぐ。その功により、録尚書事代理に取り立てられ、病身の三楽斎の代理として行政を統轄する。 公正な人物で、晏石あっての武王都死守であることを正直に報告した。 晏石(あんせき) (武王都衛兵→斉王都都尉→五丈国尚書令付き主簿) 武王都の一衛兵にすぎなかったが、西羌軍侵攻の際に太守を諭し、武王都死守の一助を果たす。その功で、竜我より斉王都の都尉に抜擢される。 斉王都に栄転してからは尚書令 三楽斎の副官となり、主簿として物資補給を取り仕切る。 雷の前で南征における補給の困難さ、それに伴う国内輸送の停滞をあげて撤兵論を諭した。 傅格(ふかく) (大五丈謀臣→五丈国外交官) 骸延の腹心だったが、骸羅政権崩壊後は竜我雷の幕僚に加わり謀略を駆使する外交官として活躍する。 六紋海の戦いにさきがけて南蛮王国に潜入、諸部族の懐柔などに暗躍していた。その後、羅侯と南蛮三王の切り崩し工作のために勃鞮に近づいたものの、英真に策を見破られ、平民に変装して五丈の陣へ落ち延びた。
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