新民法の完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
日本政府は、条約に認められた最も早い時期に条約実施を達成すべく民法編纂を急ぎ、母法である独民法典に先んじて施行するにまで至った。 旧民法財産法を「廃止」し、第1編総則・第2編物権・第3編債権とする「民法中修正案」は、1896年(明治29年)2月の第9回帝国議会(第2次伊藤内閣)に提出され、若干の修正を経て4月27日に公布。 家族法は1896年(明治29年)12月31日の施行期限に間に合わなかったため、一部延期法を制定(第2次松方内閣、法相清浦奎吾、第10議会)。 1890年(明治30年)12月の第11回議会では民商法修正案が議会に提出されたが、増税問題が紛糾して衆議院解散となり、審議未了に終わった。 翌年1月第4次伊藤内閣成立。3月の第5回衆議院選挙を経て第12帝国議会が5月19日に開院。旧民法家族法を廃止し第4編親族・第5編相続とする「民法中修正案」が可決され、6月21日に公布(第3次伊藤内閣、法相曾禰荒助)。 これによって、1~3編までは明治29年法律第89号、4・5編は明治31年法律第9号という形式上別の法律になったが、後2編は外国人に適用が無いから前3編を先行させたに過ぎず(法例)、「第4編」「第5編」とされている家族法が別法典というのは全くの俗説誤解である(梅)。 7月16日から全編同時に施行され、翌年同日から新条約実施、領事裁判権が撤廃された。
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