新城設楽家とは? わかりやすく解説

新城設楽家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:29 UTC 版)

設楽氏」の記事における「新城設楽家」の解説

設楽貞通二男である貞信(さだのぶ)を祖とする。 貞信は、徳川家康家臣として、天正12年1584年小牧・長久手の戦い天正18年1590年小田原征伐の陣に供奉し、慶長19年1614年)の大坂冬の陣では、酒井家次の隊に列し元和元年1615年)の大坂夏の陣では、伏見城城番勤めた。父貞通の旧領である三河国設楽郡700石の采地賜う諸道具奉行。 貞信の嫡男である貞政(さだまさ)は、寛永15年1838年書院番士、同18年1841年)に小姓組寛文12年1672年)に布衣着することを許される延宝2年1674年)、陸奥仙台藩伊達綱村国政を監す。延宝7年1679年大阪町奉行となり、丹波国氷上下野国芳賀1500石を加賜され、肥前守に叙任せられる。妻は安倍瑞屯娘。 貞政の嫡男の貞興(さだおき)は、小姓組番士。丹波国采地下野国河内郡移され四百石を知行する7代の貞喬(さだたか)は、青木一貫伊達政宗子孫)の二男寛政元年1789年)、采地竹広陣屋構える。 貞喬の嫡男である貞丈(さだとも)は、「蒲桃図説」を著す。妻は林述斎娘。 貞丈の三男は、岩瀬忠震。 貞丈の四男である貞晋(さだてる)は、明治維新版籍奉還により、静岡県引佐郡気賀町移住した一族は、旗本として、御小姓組番士(貞高、貞猶)、御書院番士(貞根)を勤める。

※この「新城設楽家」の解説は、「設楽氏」の解説の一部です。
「新城設楽家」を含む「設楽氏」の記事については、「設楽氏」の概要を参照ください。

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