文学への情熱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 15:43 UTC 版)
1914年(大正3年)、早稲田大学高等予科に入学(無試験)。翌1915年(大正4年)、原級予科にとどめられ、浅原六朗、下村千秋らと同級になる。この頃、小田原の花柳界の若い芸妓(17、8歳)に恋心を抱いていたという。1916年(大正5年)、本科に進級。信一の勧めで早稲田に入学した鈴木十郎と共に創作への意欲を語り合う。東京府東京市小石川区高田豊川町(現:東京都文京区目白台)の素人下宿の2階の部屋で、信一は「文学に対する情熱が強く起ってきた」と話す。谷崎潤一郎の作品などに親しむ 。 1919年(大正8年)、早稲田大学部文学科英文学科(第二部)を卒業。鈴木十郎の義兄・巌谷冬至(巖谷小波の実弟)の紹介で、時事新報社の『少年』『少女』の編集部記者となり、「牧野七路」の筆名で、『少女』に少女読物を書く。この頃、同社文芸部の佐佐木茂索と面識を持つ。同年11月、大学同級生の浅原六朗、下村千秋ら13人と同人誌『十三人』を創刊する。12月、『十三人』に「爪」を発表し、島崎藤村に認められる。「爪」には、谷崎潤一郎の『悪魔』の影響が見受けられる。
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