教皇アレクサンデル7世時代の制作活動
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「ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ」の記事における「教皇アレクサンデル7世時代の制作活動」の解説
1655年にキージ家出身の教皇アレクサンデル7世が即位した。彼は30年前の芸術家に慕われたウルバヌス8世のように、人文主義的な教皇であった。 ベルニーニがこの教皇から最初に注文を受けた作品のひとつは、ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会内のキージ家礼拝堂のための、《ダニエルとハバククと天使》(1655年 - 1661年)と、身廊および翼廊の装飾であった。 ローマでは、1656年から1667年に「サン・ピエトロ広場」を建設したが、設計を依頼されたのは50代の半ばであった。だが取り掛かりはじめ難題にぶつかる。当時、サン・ピエトロ大聖堂の前には、いびつな形をした空き地があるだけだった。「この空間を神聖な場所にするには、どうすればいいのか?」ベルニーニは聖地に相応しい形を求め、試行錯誤を繰り返した。そしてひとつのアイデアに辿りつき、1667年にサン・ピエトロ広場は完成した。フランス王ルイ14世に招かれ、ルーヴル宮殿の改築計画にも関わった。 ベルニーニの彫刻のクオリティは極めて高く、多作で、生きていた時代を反映している彫刻家は歴史上殆どいない。彼の最初の作品は17歳、もしくはそれ以前に刻んだ幼神ゼウスの彫像で、最後の作品は81歳の時のキリスト像である。その間60年余り、彼は彫刻史上の大変革に一役買ったばかりでなく、最も人気のある建築家としても作品を残した。
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