改番と譲渡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/07 14:15 UTC 版)
「西武31形電気機関車」の記事における「改番と譲渡」の解説
主電動機を国鉄電車で制式のMT15とし、歯数比も電車並の2.74としていた結果、本形式は牽引力が低く定格速度が34.8km/hとこの種の機関車にしては極端に高い、という特異な走行性能であった。そのため電気機関車としては扱いづらく、製造からの経年が浅かったにもかかわらず、もてあまし気味となり、1949年に32(初代)が降圧改造工事などを実施の上で駿豆鉄道へ貸し出しとなり、さらに1952年に33(初代)、翌1953年に32が駿豆鉄道に正式に譲渡された。 これら2両は同社駿豆線のED31形として同一番号のまま運用されている。前述の通り1955年に所沢工場製造で32(2代)として1両のデッドコピー機が製造されたが、1956年に既存の31(初代)と番号を交換し、31(2代)となっている。その後、32(3代)は1957年4月に遠州鉄道に譲渡され同社ED21形ED212に、自社製造の31(2代)は1961年12月にE31形(初代)E31と改称・改番されたのち、1963年7月に越後交通に譲渡され、同社長岡線のED310形ED311となった。これにより本形式は西武で形式消滅となった。
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