播磨鑑と宮本伊織
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/21 20:44 UTC 版)
平野庸脩の居住地、平津村は、宮本伊織が生まれたという播磨国印南郡米田村(現・兵庫県高砂市米田町米田)の徒歩10分以内の隣村である。平野は地元の名士である伊織のことについて『播磨鑑』で詳細に記述している。 『播磨鑑』での伊織に関する記述については、確定と伝聞を使い分けて記述しているが、伝聞の部分(例として、「子供のころ天狗にさらわれたと云う」)のみを採って、『播磨鑑』全体の史実性が低いと考える意見がある。 また、確定的事項として記述されている部分については、伊織自身の『泊神社棟札』と一部に不一致(先祖代々米田村にいるのか、親の代で米田村に来たのかで相違点がある、など)がある。この点については、伊織が泊神社の社殿再建の願主となって、再建後に三十六歌仙の額他を奉納した事を記述しているので、平野は棟札の内容を知った上で、自ら検証したことを記載したとも考えられており、他の二次史料に比べると信頼性が高いとされている。
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