戴冠式とクロアチア王国の成立とは? わかりやすく解説

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戴冠式とクロアチア王国の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/28 03:10 UTC 版)

トミスラヴ (クロアチア王)」の記事における「戴冠式とクロアチア王国の成立」の解説

925年トミスラヴクロアチア王に即位し教皇から「王」称号授与され最初クロアチア支配者となる。トミスラヴ即位年は924年あるいは925年とされているが、戴冠式時期と場所、そして誰に戴冠されたか不明確な点が多い。大助トマスの『ヒストリア・サロニタナ』のある版ではトミスラヴは王と称され925年スプリト教会会議議事録冒頭部分注釈トミスラヴは「クロアチア人ダルマチア人の地域」を統治する「王」( in prouintia Croatorum et Dalmatiarum finibus Tamisclao rege)と記されている。他方教皇ヨハネス10世が送った書簡ではトミスラヴは「クロアチア人の王」(Tamisclao, regi Crouatorum)と呼ばれている。トミスラヴ称号確認できる当時碑文存在しないが、後の時代建てられ碑文特許状では、トミスラヴより後にクロアチア王位就いた人物10世紀時点クロアチア王を自称していたことを確認できる過去歴史学ではトミスラヴはドゥヴノ平原近辺のトミスラヴグラードで戴冠されたと推測されていたが、戴冠式に関する同時代記録確認されていない。ドゥクリャ司祭年代記には、王を自称する「スヴァトプルク(Svatopluk)」(年代記別の版ではブディミル(Budimir)と記されている)という人物の戴冠式と彼がダルマ平原開催した会議について記述されている。19世紀歴史家トミスラヴとスヴァトプルクは同一人物であるか、もしくは著者不注意で王の名前を誤って記した考えていた。他には教皇彼の代理人925年よりも前にトミスラヴ戴冠していた、あるいはトミスラヴ自分自身の手戴冠した説が挙げられている。

※この「戴冠式とクロアチア王国の成立」の解説は、「トミスラヴ (クロアチア王)」の解説の一部です。
「戴冠式とクロアチア王国の成立」を含む「トミスラヴ (クロアチア王)」の記事については、「トミスラヴ (クロアチア王)」の概要を参照ください。

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