戦後の書道教育の拡大に奔走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 22:40 UTC 版)
「上條信山」の記事における「戦後の書道教育の拡大に奔走」の解説
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}終戦後、GHQ指導の下で教育改革が行われ、1947年の学習指導要領(試案)では書道が小学校の自由研究に位置づけられた。これを戦前の必修教科からの格下げと捉えた書壇では豊道春海を先頭に反対の声が出、再必修化への運動が起こった。[要出典]そうした中で上條は1949年に文部省に設置された教育課程審議会委員に任命され、必修への復活を訴えるとともに、1950年には『書道単元学習と評価法』を出版、書道教育の理論構築を進めた(豊道、上條らの熱心な活動の結果、書道は1951年の学習指導要領から国語科の一部として再必修化された)。1956年、大東文化大学講師および東京教育大学専任講師、1965年東京教育大学教授。 このほか、高等学校教育課程審議会委員、全日本書写書道教育研究会理事長などを歴任した。1985年からは日本書道教育会議の議長を務めるなど、生涯を通じて学校における書道教育振興のための活動に尽力した。
※この「戦後の書道教育の拡大に奔走」の解説は、「上條信山」の解説の一部です。
「戦後の書道教育の拡大に奔走」を含む「上條信山」の記事については、「上條信山」の概要を参照ください。
- 戦後の書道教育の拡大に奔走のページへのリンク