成生集落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 18:09 UTC 版)
詳細は「成生 (舞鶴市)」を参照 漁港には付随して戸数二十数戸の小さな集落がある。海岸に面したところは、1階が船小屋2階が住居という舟屋が建ち並ぶ独特の景観がある。一方、海岸から奥の狭い平地には家屋が密集する。 交通不便な小村であるが、何年に一度かは大漁に恵まれるブリ網で豊かな村であり「ブリ御殿」と呼ばれる、敷地は狭くとも立派な家屋が建ち並ぶ。明治時代には集落が協同で養蚕に取り組み、臨時の労働者を600人雇用していた時期もあった。また、全戸を組合員とする漁業協同組合を結成し、大敷網を共同運営した。これらの事業収入を組合員に平等に分配したことから、明治期に建てられた家屋はどの家も平準化された間取りとなっている。 村の奥には、断片的に残る丹後風土記の記録する古社の鳴生神社、および永享元年(1429年)開山と伝えられる臨済宗東福寺派の西徳寺がある。1950年(昭和25年)に起こった金閣寺放火事件の犯人の生家は西徳寺である。
※この「成生集落」の解説は、「成生漁港」の解説の一部です。
「成生集落」を含む「成生漁港」の記事については、「成生漁港」の概要を参照ください。
- 成生集落のページへのリンク