引退 - 急逝・没後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 23:38 UTC 版)
念願の100頭を達成後、大川は銃を置き、猟師を引退した。その後、事件の犠牲者たちの慰霊碑の建立を計画。思いを同じにする地元住民たちの協力のもと、地元の三渓神社に「熊害慰霊碑」が建立された。碑には大きく「施主大川春義」と刻まれた。 1985年12月9日、三毛別羆事件の70回忌の法要が行なわれた。大川は町立三渓小学校(のちに廃校)の講演の壇上に立ち、「えー、みなさん……」と話し始めると同時に倒れ、同日に死去した。大川は飲酒も喫煙もせず、当日も朝から三平汁を3杯平らげ、健康そのもののはずであった。その大川が事件の仇討ちとしてヒグマを狩り続けた末、事件同日に急死したことに、周囲の人々は因縁を感じずにはいられなかったという。 1986年(昭和61年)、三毛別羆事件をもとにした小説『羆嵐』の著者である吉村昭の著により、『小説新潮』創刊500号特集号に、短編作品『銃を置く』が掲載された。『羆嵐』の後日談であり、大川がモデルとされている。この作品は、『羆嵐』の原稿や、大川の息子である大川高義らが仕留めた日本最大級のヒグマ「北海太郎」の剥製と並び、「苫前町の宝」に選定されている。
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