弓子の復讐劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:04 UTC 版)
小関和弘は、弓子の「アンドロギュヌス性の端緒」は、姉・千代と赤木の恋への羨望と、その「不幸な浅草の女の〈恋〉」への抵抗で、弓子の赤木への「溯行」は、隅田川を溯る「紅丸の航跡」に象徴され、それは同時に、弓子自身の中にある男(明公という少年の面)への溯行(自分自身への溯行)でもあるとし、そのため「紅丸」での復讐劇には「自分自身への復讐という〈モメント〉」も混在し、それが「赤木を好きになったら自分は死ぬ」という決意の意味だったと考察している。そして、それが赤木の殺害で終わった時、弓子の、「男になるんだ。女になるまい」という「決意の始源」は壊れたとし、白い外套に血を付着させて「紅丸」という船から半身を乗り出した弓子の姿は、「再誕の擬態」であると解説している。 前田愛は、「私」(川端)が作中で、〈コンクリートの枕に寝て、また舟板の枕に寝るかもしれない弓子のことから、私はこの伝説を思ひ出すのだ〉と書き、石枕の古伝説に触れている点から、弓子の赤木への復讐劇が、石枕の古伝説を下敷きにしているとし、川端が、「弓子の引き裂かれた心」を石枕の古伝説に合わせて描き、「心猛き姥」と「吾身をいけにえに供するその娘」を、「赤木に魅かれながらも憎悪をたかぶらせて行く弓子の両義性に変型させている」と考察しながら、弓子の変身の意味が「化身の相をあらわす観音伝説」にまで遡っている『浅草紅団』は当時最先端の都市風俗を描きつつも、「その裏側に土俗的なものをわだかまらせている二重底の世界」であると論考している。
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