府立難波病院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 13:58 UTC 版)
「大阪急性期・総合医療センター」の記事における「府立難波病院」の解説
1899年11月-大阪府立難波病院に改称。1900年の娼妓取締規則(内務省令)および娼妓健康診断所執行規則(大阪府令)の施行のため、花柳病の診療を目的に設立。遊女のための専門病院として、府下の10遊郭において府の衛生課による健康診断の結果有毒者と決定した娼妓の無料入院を取り扱っていた。 1924年7月-現在地に移転、病棟5棟と診察棟が竣工。 1939年3月-病棟を4棟増築。 1945年3月-大阪大空襲により敷地が命中するも焼失を免れるも入院患者全員退院、病棟1棟を戦時疎開命令により撤去し、終戦まで住吉区方面の罹災救護所に転用。 1946年5月-内務省令娼妓取締規則及び大阪府令娼妓健康診断規則の廃止、更には大阪府令、花柳病予防特例施行細則制定に伴い、娼妓改め接待婦等を含む業態者に対する検診と性病罹患者の強制入院を行い、娼妓病院としての機能を終える。
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