広明町時代(1967-1994)
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「三重県立図書館」の記事における「広明町時代(1967-1994)」の解説
津城内の県立図書館は、構造上図書館に不向きで、なおかつ老朽化が進行していたため、1962年(昭和37年)に当時の館長・井崎清雄が自ら新図書館建設計画と設計図を作成し新館建設を迫ったが、1964年(昭和39年)に尾鷲・熊野分館を閉鎖せねばならないほど三重県の財政事情は厳しかったため、実現しなかった。県立図書館側はこの1件で諦めたわけではなく、次の境貞一館長が計画を引き継いだ。こうした折に都市公園法の規定により1966年(昭和41年)10月15日までに土地を明け渡さねばならないことが判明し、1965年(昭和40年)6月の県議会は三重県図書館協会などから提出された陳述書を採択する形で建設計画を検討し始めた。同年7月13日に毎日新聞の記者が同紙で「三重県庁舎の立派さに対して図書館の貧弱さが目立ち、文化行政の貧困さが痛感される」と書き、図書館建設に向けた世論を喚起したことも援護射撃となり、三重県教育委員会は同年9月に新築移転を決定、紆余曲折を経て偕楽公園にあった三重県立博物館(三重県総合博物館の前身)隣接地に建設することとなった。 こうして1967年(昭和42年)3月に津市広明町に新館が完成した。1978年(昭和53年)7月の郷土資料室開設、1984年(昭和59年)の巡回文庫再開、1985年(昭和60年)の協力車巡回事業開始と同和問題関係図書コーナー開設を行い、利便性を向上させてきた。
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