幼女・少女期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/02 04:40 UTC 版)
「ユニティ・ヴァルキリー・ミットフォード」の記事における「幼女・少女期」の解説
ミットフォード家は1919年にオックスフォードシャーのアストホール邸(英語版)を購入してそこへ移住した。 父も母も風変わりな人物だったのでミットフォード家の娘たちは特殊な環境の中で育った。父デーヴィッドは癇癪持ちで、「姉妹一の悪がき」だったユニティはよく父親に殴られたという。母シドニーは後継ぎである息子トーマス以外の姉妹たちに養鶏場の収入以上の教育費をかける意思はなく、学校へ通わせずに家庭教師から教育を受けさせていた。しかし気性の荒いユニティだけは特別に寄宿学校へ入れられたことがあったが、結局ユニティが飛び出してしまったらしい。ミットフォード家の家庭教師は姉妹たちのいたずらのせいで長続きせず、頻繁に交代したという。他の姉妹たちによれば特にユニティのいたずらは容赦がなかったという。 ユニティは妹のジェシカと仲が良く、二人はお互いを「バウド」と呼び合い、「バウドルディッジ語」という専用の言語を作って大人たちに気づかれないよう品のない会話をしたという。しかしやがてユニティはファシズム、ジェシカは共産主義に傾倒するようになり、二人はイデオロギー対立をするようになった。二人の部屋の中央には境界線がひかれ、片側にはヒトラーのポスターと鉤十字のマーク、反対側にはレーニンのポスターとハンマー・鎌のマークが貼り付けられたという。ジェシカは自分が政治に興味を持ったことがユニティに影響を与えたと主張するが、ユニティの伝記作家デーヴィッド・プライス=ジョーンズによればジェシカが初めて政治に興味を持った年の前年の1930年にはユニティはすでに反ユダヤ主義本『ユダヤ人ジュス(Jew Suss)』を所持していたといい、その頃にはすでにファシズムに傾倒していた可能性もある。
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