幼君擁立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/28 03:53 UTC 版)
晋は祖父の文公が覇者になったもの、即位したとき、すでに老齢で在位わずか9年で没した。父の襄公もまた、即位して7年で夭折してしまった。太子の夷皋はまだ幼く、正卿趙盾は覇権を維持するために大夫たちと話し合い、当時、秦にいて盛名が高かった公子雍(中国語版)を呼び戻して晋公とすることにした。 ところが狐射姑が陳にいた公子楽(中国語版)を晋公にしようとしていたことがわかり、趙盾は刺客を放って公子楽を殺してしまった。狐射姑は亡命したが、反対派の動向を恐れるようになった趙盾は考えを変え、夷皋の母の穆嬴が晋の大夫たちを説得して回ったこともあって、夷皋を晋公に立てることにし、軍を出して公子雍を追い払ってしまった。
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