工業化、奴隷制度廃止運動および政治 1815年-1860年
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「ニューハンプシャー州の歴史」の記事における「工業化、奴隷制度廃止運動および政治 1815年-1860年」の解説
1830年代、ニューハンプシャーは2つの大きな話題があった。1つは、州北部カナダとの国境にインディアン・ストリーム共和国を設立し、独立戦争後も未解決であった国境問題に決着を付けた。この共和国は、1832年に人口約300人で創設され、1835年にはニューハンプシャー州に吸収された。この吸収の時に、イギリス領カナダとの間に多少の暴力沙汰も起こった。最終的には 1842年のウェブスター=アッシュバートン条約で国境問題が解決をみた。 2つ目の話題は、ダートマス大学の奴隷制度廃止運動家が1835年にカナーンで実験的に多民族によるノイズ・アカデミーを創設したことだった。しかし、創設後数ヶ月も経たないうちに、この学校に反対する土地の者達が牛を使って建物を引き摺り倒し、その後で燃やしてしまった。 奴隷制度廃止運動家の感情は州内の強い底流となり、ジョン・P・ヘイルの「自由の大地」党の大きな支援を得ていた。しかし、編集者のアイザック・ヒルの指導の下に保守的なジャクソン流民主党員が通常は支配を続けた。1856年、新しくエイモス・タックを頭に造られた共和党が政治的な改革を生み出した。
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