崑崙関の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/27 09:54 UTC 版)
崑崙関の戦い(こんろんかんのたたかい)とは、日中戦争(支那事変)中の1939年(昭和14年)12月17日から1940年(昭和15年)1月中旬頃までの間、広西省の崑崙関周辺の陣地をめぐっておこなわれた戦闘である。南寧奪回を目指す中国軍の攻勢を受け、日本軍は激戦の末に崑崙関から後退したが、南寧への進攻は食い止めた。
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- ^ a b 児島、235-236頁。
- ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04122012300、昭和15年 「陸支密大日記 第14號3/4」(防衛省防衛研究所)」
- ^ a b c 『支那事変陸軍作戦(3)』、59-60頁。
- ^ 『支那事変陸軍作戦(3)』、69-70頁。
- ^ 『支那事変陸軍作戦(3)』、54頁。
- ^ 第200師より集中編成。4コ戦車営を主に、各種支援部隊を含む。
- ^ 『支那事変陸軍作戦(3)』、60-62頁。
- ^ a b 『支那事変陸軍作戦(3)』、62-64頁。
- ^ a b 『支那事変陸軍作戦(3)』、64-67頁。
- ^ a b 『支那事変陸軍作戦(3)』、67-69頁。
- ^ a b c 『支那事変陸軍作戦(3)』、70-72頁。
- ^ 『支那事変陸軍作戦(3)』、73-76頁。
- ^ 『支那事変陸軍作戦(3)』、77-79頁。
- ^ a b 『支那事変陸軍作戦(3)』、79-80頁。
- 1 崑崙関の戦いとは
- 2 崑崙関の戦いの概要
- 3 参加兵力
- 4 脚注
固有名詞の分類
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