広安門事件とは? わかりやすく解説

広安門事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 04:04 UTC 版)

広安門事件(こうあんもんじけん)は、日中戦争初期(北支事変)の1937年昭和12年)7月26日中華民国冀察政務委員会の支配地域であった北平市(現:北京市)で起きた国民革命軍第二十九軍[注釈 1]による日本軍への襲撃事件。この7月には7日に盧溝橋事件、25日に廊坊事件という別の衝突事件が起きていた。


注釈

  1. ^ 南京政府直属の中央軍ではなかったため、中央軍に編入するように蒋介石が働きかけていた。
  2. ^ 支那駐屯歩兵第二連隊第二大隊[1]
  3. ^ 『戦史叢書』では先頭のトラック3両が通過したときに中国側の攻撃が開始されたとしている[1]
  4. ^ 『戦史叢書』では軍事顧問が中国軍の鎮撫に努めても聞かないため午後8時応戦を始めたとしている[1]
  5. ^ 『戦史叢書』では28日午前2時とされる[4]
  6. ^ 前日には廊坊事件への対応として第29軍各部隊の撤退を期限を付けて要求していた[5]

出典

  1. ^ a b c d e 戦史叢書 pp.216-217
  2. ^ a b c d 陸軍省新聞班 1937 p.6
  3. ^ 伊香俊哉『満州事変から日中全面戦争へ』吉川弘文館、2007年 ISBN 978-4642063326
  4. ^ 戦史叢書 p.225
  5. ^ 陸軍省新聞班 1937 pp.4-6
  6. ^ 陸軍省新聞班 1937 pp.7-8


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