岩国電気と中外電気の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 16:33 UTC 版)
「中外電気」の記事における「岩国電気と中外電気の合併」の解説
中外電気は木谷川の発電所建設を終えたものの、需要増加のためさらなる電源確保を求められる状態にあった。しかし周辺の河川で他事業者の水利権が設定されていない地点は柳井川水系程度で有望なものはなく、資金面でも開発ができる状況ではなかった。その一方、隣接する岩国電気は大型の岸根発電所に加え、ほかにもいくつかの未開発水利権を保有していた。 発電力が限られるが供給が追い付かないほどの需要を持つ中外電気と、豊富な発電力・水利権を持つが供給区域が限られる岩国電気は、合併すれば互いの長所で短所を補い事業の合理化を図れるものであった。合併は1921年7月16日付で成立。存続会社の中外電気は資本金を100万円から415万円に増額し、岩国電気は解散した。会社の規模(岩国電気の合併時資本金は230万円)や発電力、さらに業績も岩国電気の方が優れていたため、払込金額基準で1対1.68という岩国電気に有利な合併比率が採用された。 合併に伴う役員改選では、元々中外電気の社長であった国光五郎が取締役に下がり、岩国電気社長であった上林亥八に交代するなど、役員のほとんどが旧岩国電気側の役員となった。加えて本社の所在地も柳井町から岩国町に移された。よって形式的には中外電気による岩国電気であるが、合併の主導権は岩国電気側にあったといえる。 合併後、水力発電所の新規建設は実現しなかったが、1922年(大正11年)3月に木谷川第二発電所の出力を360キロワットを引き上げ、翌1923年(大正12年)10月には熊毛郡伊保庄村(現・柳井市)に伊保庄発電所(火力・1,250キロワット)を新設して需要増加に対処した。1923年末時点での供給区域は広島県の一部を含む68町村に広がり、供給数は電灯3万6475灯・電力2,956キロワットに及んだ。
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