山川あつ子との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 02:45 UTC 版)
「篠崎スパイ事件」の記事における「山川あつ子との関係」の解説
篠崎 (1978b, p. 76)(初出は『南十字星』1972年7・8月号~1974年3・4月号)によると、戦後、篠崎と再会したブレーズは「山川嬢はどうしていますか?」と尋ね、篠崎は「ああ、彼女は、こちらに来る途中、潜水艦にやられて、沈みました」と答えたとされ、篠崎 (1976, p. 142)では、ブレーズは篠崎に「時に山川嬢は元気かね。君のガールフレンドさ。」と尋ね、篠崎は「彼女はインドに抑留され、一旦日本へ帰って、こちらに来る途中、リンガエン沖で米潜に撃沈されて、海没しました」と答えた、とし、山川は篠崎がスパイ活動をする上での「協力者」だった、と記している。 これについて、井伏 (1998, p. 393-394,403)は、篠崎と山川あつ子が恋愛関係にあることは戦前、英国人にもよく知られていたらしく、山川が死亡したために篠崎は戦時中「冷徹な人間」になったのではないか、と記しているが、上述のとおり篠崎の事件では山川もブレーズに検挙されており、事件の裁判の中で篠崎は、自身がパーティを頻回開催していたのは山川を喜ばせるためで、「自身が山川を深く愛していたことが事件の重要な要素の1つだ」と主張していた。 また特高警察による日本総領事館の篠崎の事務室の捜索で見つかった、篠崎が「逮捕された時のために」記しておいた伝言の中には、篠崎と「Y.との恋愛関係」について言及があった。
※この「山川あつ子との関係」の解説は、「篠崎スパイ事件」の解説の一部です。
「山川あつ子との関係」を含む「篠崎スパイ事件」の記事については、「篠崎スパイ事件」の概要を参照ください。
- 山川あつ子との関係のページへのリンク