少年ジャンプ創刊まで
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「週刊少年ジャンプ編集部」の記事における「少年ジャンプ創刊まで」の解説
1968年(昭和43年)、少年ブック編集長だった長野が異動し、少年ジャンプ編集部の初代編集長になったことで歴史がスタート。他にも少年ブック編集部からは中野祐介が副編集長待遇、西村繁男と加藤恒夫が平社員として異動。さらに貝塚ひろしを担当させるために石井一郎も追加異動させた(貝塚は若手編集者を担当させると軽く見られていると思う性格のため)。しかし少年ブック編集部も人材が余っているわけではなく、集英社自体も前年『セブンティーン』を創刊していたことで社内全体で人材不足が深刻化しており、編集者の確保が問題となった。長野は集英社の親会社小学館から発行され先行していた『週刊少年サンデー』に協力を要請するが、「一ツ橋グループ内に週刊の少年漫画誌は2誌も要らない」と一蹴された。 「週刊少年サンデー#1959年創刊 - 1960年代」も参照 長野は苦肉の策として、集英社外のフリー編集者を使うことを提案。応募した桜木三郎、遠崎史朗、村上(すぐに退社したため名前は不明)の3人が編集助手として採用される。前述のように人手不足が深刻化しており、正社員と同じ仕事量でありながら、給与は諸手当込で3万円と不利な労働条件だったが、これが後に発生する労働争議の火種となってしまった。なお面接をした中野は3人の能力に疑問を持ちながらも、不利な条件にも関わらず働いてくる3人に対して将来の社員登用も考えていたが、長野はあくまで臨時採用と考えていた。採用後すぐに抜けた村上の代わりに山田和夫が編集助手に採用される。 正社員5名とアルバイト編集者3名の計8名が創刊時の編集部だった。創刊当時は月2回発刊で、3名加わったとは言え、人材不足は未だ解消されていなかった。
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