宮之城島津家
宮之城島津家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 20:54 UTC 版)
宮之城島津家は相州家島津忠良の三男島津尚久を初代として始まった。2代忠長のとき、慶長元年(1600年)に宮之城の領主となり、石高は1万石を超えた。墓所はさつま町の宗功寺跡にある。
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