室町幕府における副将軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:03 UTC 版)
室町時代においても副将軍は常設ではなかったが、何度か任命された例はある。 初期の建武5年(1338年)、足利尊氏の弟足利直義が征夷副将軍に任ぜられている。また、足利義持の時代に上杉禅秀の乱の鎮圧に功績があった今川範政が副将軍に任ぜられたといわれ、足利義尚の時代にも斯波義寛が「常徳院殿(義尚)御代副将軍」として副将軍に任ぜられたと記録される。 室町後期の関東にあっては古河公方足利氏が関東武士の間において権威を誇っていたが、同氏の出身である足利義明は古河公方足利高基・晴氏父子に対抗し、小弓公方を自称した。このとき、安房の戦国大名里見氏は義明を奉じて関東副将軍を自称したとされる。
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