定年後、騎手免許試験受験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 22:48 UTC 版)
「内藤繁春」の記事における「定年後、騎手免許試験受験」の解説
調教師の石坂正は同場の従業員から内藤厩舎の厩務員となり、のちに独立している。調教師の70歳定年を翌年に控えた2000年10月、内藤は突如として日本中央競馬会の騎手免許試験受験を発表。要項には16歳未満の受験を認めない旨が明記されていたが、上限年齢については定められておらず、競馬会も「願書の受け取りを拒否する理由はない」として受験を容認した。69歳にしての騎手復帰への試みは、一面で報じるスポーツ紙も現れるなど、幅広い注目と応援を集めた。だが1次試験の学科に手こずり、走路試験、障害試験でも馬を止められなかったり指定されたコースを回れないなど、約30年ぶりの騎手再挑戦は厳しいものであった。試験終了後の記者会見では「手応えはあります」と合格に自信を覗かせたが、結果は不合格に終わった(仮に合格していたら、内藤が中央競馬最高齢騎手ということになっていた)。 翌年の受験にも意欲を見せていたが、試験後より視力の低下が進み、手術を行うも要項で定められた規定の視力を保つことができず断念した。のちに受験を回想し、「今にして思えば、70歳の『定年調教師』が無謀にも騎手を目指し、世間を騒がせて恥ずかしい限りだ。あえて言い訳をさせてもらうなら、私は死ぬまで馬の世界に身を置きたかった。馬とともに生き続けることだけが目標だった」と語っている。 2001年2月28日を以て調教師を引退。通算成績は11201戦893勝。通算出走数は中央競馬史上最多記録。管理馬は湯窪幸雄、石坂正厩舎などに分散して引き継がれた。引退後は公営・園田競馬で馬主資格を取得している。2013年8月12日朝に死去。82歳没。
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