奇人としての保科
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/12 13:56 UTC 版)
真冬に麦わら帽を被り、すり切れた赤毛布をコート代わりに羽織るという珍妙な出で立ちで街を歩き、傍若無人な毒舌演説を繰り返すことで、奇人としても当時の長野県下で名前が通っていた。特に演説は「ゴムの悪口演説」として、賛否はともかく聞きに来るものも多かったという。1904年(明治37年)、読売新聞が募集した「奇人百種」では保科を紹介した文が一等に入選している。なお、これの投稿者は不明(これについては、横山健堂が聞き書きしたものではないかという説がある)。 また、保科には狂歌という趣味があり、中でも、1906年(明治39年)に刊行した狂歌集『よいかかをほしな百首け』は、「嫁が欲しい」という内容を面白おかしく歌った狂歌ばかりを百首集めたものであり、教育者としての保科とのギャップもあって周囲を当惑させた。
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