大石良雄外十六人の一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 02:16 UTC 版)
「大石良雄外十六人忠烈の跡」の記事における「大石良雄外十六人の一覧」の解説
大石内蔵助(良雄) 吉田忠左衛門(兼亮) 原惣右衛門(元辰) 片岡源五右衛門(高房) 間瀬久大夫(正明) 小野寺十内(秀和) 間喜兵衛(光延) 礒貝十郎左衛門(正久) 堀部弥兵衛(金丸) 近松勘六(行重) 富森助右衛門(正因) 潮田又之丞(高教) 早水藤左衛門(満尭) 赤埴源蔵(重賢) 奥田孫太夫(重盛) 矢田五郎右衛門(助武) 大石瀬左衛門(信清) 細川綱利は「彼らは細川家の守り神である」として17士の遺髪を分けて頂き義士の墓と供養塔を建て、切腹場所を屋敷の名所として残すように命じている。しかし、綱利の血筋が絶えたこと、江戸城中で細川宗孝が遺恨により斬殺され加害者の遺臣が健在だったこと、浅野氏と不仲の伊達家が御家存続の恩人になったこと、など様々な事情が重なり遺言は守られず、当時の遺構(畳三枚、屏風、風雨除け、脇差台、供養施設など)は今に残っていない。それでも、切腹場面を描いた浮世絵などで往事の様子が偲ばれる。
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