細川宗孝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 13:41 UTC 版)
細川 宗孝(ほそかわ むねたか)は、江戸時代中期の大名。肥後国熊本藩5代藩主。熊本藩細川家6代当主。官位は従四位下・侍従、越中守。院号は隆徳院。
- ^ 『大名細川家の至宝 文武の歴史と雅の文化・永青文庫名品展』(編:山梨県立美術館)掲載系図より。
- ^ 家紋World - 細川七つ紋
- ^ 大谷木醇堂『醇堂叢稿』、『旗本御家人』 200~210頁。
- ^ 正徳2年(1712年)11月、伊達吉村に幕閣が浅野家との和解を打診したが拒絶された。伊達宗村は吉村の子である。
- ^ 毛利家(部屋をくぎ付けにした)と久松家(脇差を腹に当てない前に首をはねた)は赤穂浪士を罪人として冷遇したが、細川家は浪士を厚遇したと伝わる。「細川の 水の(水野)流れは清けれど ただ大海(毛利甲斐守)の沖(松平隠岐守)ぞ濁れる」と当時の狂歌が残る。
- ^ 現在は墓の台座部分(四角い芝台石) と供養塔の残滓(角が丸くなった石)と思われる石の集まりが残る。また破壊された遺構も出土している。
- ^ 平成10年(1998年)に中央義士会と東京都教育委員会の有志により「大石良雄外十六人忠烈の跡」碑が設置された。
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