大番屋の図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/20 03:11 UTC 版)
大番屋の構造・設備の詳細を記した文献はほとんど無い。 明治26年(1893年)9月に刊行された『徳川幕府刑罰図譜』の24葉目に「大番屋留置場の図」 (a great watch hause、(明治大学博物館)) があるが、これは想像図であり、重松一義はこれを大番屋を伝える絵画として認めることはできないとしている。 一方、河鍋暁斎が描いた「江戸の大番屋(明治三年十月暁斎氏東京府の獄屋に繋かるゝの図)」は、実際に大番屋・本牢に100日余入牢した上、50回の敲を受けた後に描いたもので、「学術的に貴重で、価値が高い刑事史料である」と評価している。 暁斎の「大番屋の図」には、牢屋敷にも無いような中2階の構造があり、獄舎右側の帳場風の台上が番屋下役の詰所(監視所兼指図所)である。上段窓際は揚屋扱いの者(一定の身分ある者を収監する牢)・軽罪の者・老人・婦女・子供が繋がれ、下段の格子内には重罪の者・本牢(小伝馬町牢)送りを待つ者・無宿無頼者を座らせる場となっている。下段は各面が小雑居(必要に応じて独居とする)の形態となっていて、3尺四方のスペースに4人が詰め込まれている様子が描かれる。
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