大混乱、衝突、そして虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 04:19 UTC 版)
「インド・パキスタン分離独立」の記事における「大混乱、衝突、そして虐殺」の解説
そして両地方ではヒンドゥー教徒地域のイスラム教徒はイスラム教徒地域へ、逆にイスラム教徒地域のヒンドゥー教徒(およびパンジャーブではシク教徒)はヒンドゥー教徒地域へ、それぞれ強制的な移動・流入による難民化を余儀なくされた。 イスラム法には異教徒の支配下にあり、宣教とジハードによる状況の打開が当面不可能な場合、イスラム教徒が支配する領域に移住すべきという思想がある。その思想に基づき、イスラム教徒の間で「ムハージルーン運動」と呼ばれる移住運動が展開された。 このとき短期間での一千万人以上もの人口流入によって生じた大混乱のため、特にパンジャーブ地方では両教徒間に数え切れないほどの衝突と暴動、虐殺が発生、さらに報復の連鎖が各地に飛び火し、一説によると死者数は100万人に達したとされる。このとき生じた両者の不信感そして憎悪が印パ関係の後々まで影響することとなる。いっぽうカルカッタではガンディーの尽力により虐殺が抑えられた。
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