大森遊廓の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 23:00 UTC 版)
名前の由来となった大森遊廓も時代の流れで最終的に終焉を迎えていく。 敗戦直後に廃業した業者もいたが、1945年10月のアメリカ軍函館進駐で再度吹き返すことになる。GHQの1946年1月21日発表「日本における公娼の廃止に関する覚書」と24日の公娼制度廃止命令によって遊廓自体は終止符を打つはずであった。しかし皮肉なことに結果として街娼が増加することとなり、警視庁は社会上やむを得ないとして、特殊飲食店など集娼地域(地図上に赤い線で囲んだので「赤線」と呼んだ)を指定、事実上公娼制度を復活させてしまった。最終的に1956年(昭和31年)5月、やっと売春防止法(1956年(昭和31年)5月24日法律第118号)が成立し、1958年(昭和33年)4月、函館の赤線こと大森遊郭は廃止された。
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